2015/09/09   これからの時代に人は何をしてけばいいか

産業革命が起こったのは、18世紀半ばから19世紀にかけてだった。
さまざまな分野で機械化が進み、肉体労働や人の手による作業が減り、生産効率が爆発的に上がった。

20世紀末から21世紀にかけて、コンピュータ革命が起きた。
数値処理やデータ処理が、人にはできないほどの規模とスピードで行われるようになった。
ネットワークも世界的な規模で広がり、ネットワーク自体の概念も変わった。
そして、人工頭脳が発達しつつある。

産業革命が起きたときに、
「機械にばかり任せておいては、人間がダメになる」
そんなことを言った人っていなかっただろうか。きっといたと思う。
自分だったら言っていたと思う。

今、コンピュータやネットワークが発達し、今後、人工頭脳がますます発達する。
そうすると、「人類は、人工頭脳に滅ぼされるのではないか」との懸念が起きる。

でもたぶん、実際に人工頭脳が一般に普及した時代になると、あの頃なんであんなことを言ってたんだろうと、杞憂に終わるのだと思う。
というか、杞憂に終わってほしい。


となると、人は何を成長させていけばいいのか。
きっと、感情とか感覚とか、機械化できないものや数値に置きかえられないものなのだ。

美しいとか、汚いとか、感動するとか、悲しいとか、おいしそうとか、おもしろいとか......
痛いとか、痒いとか、くすぐったとか、気持ちいいとか......
五感や第六感
どこからわいてくるのか分からない感情......

そういう部分を磨いていこうと思う。
(なんだかよくわからないけど、それが大切だと降りてきたのだ)






2015/08/31   「勝機」のつかみ方

マラソンのテレビ中継が好きで、いつも最後まで見てしまう。
これは母譲り。
昨日の世界陸上の女子マラソンも、日本選手が全員ゴールするまで見てしまった。
当然最後まで見ていた母が、途中でつぶやいていた。
「ここで出なきゃ勝てないのに......。飛び出す勇気をもたなきゃメダルには手が届かない」
ゴールのあとで、高橋尚子さんが解説で同じことを言っていた。

選手は、自信がなかったのか、不安だったのか、体力的に準備不足だったのか、
テレビの前で観ている者には分かるはずもない。結果論で、好きなことを言う。

日本選手がトップグループの先頭に立っていたときに思った。
「勝機」の見つけ方は難しいと。
勝機が何度かあったとしても、ピッタリタイミングを合わせないと、勝利は手にできない。
結局、誰もつかめなかった。

「勝機」は見えないし、触れないし、近くにあると感じても手に届かなかったり、
届いたと思ったらするりとすり抜けたり、と思ったらスッポリ手に入ってきたり......する。
「勝機」と「運」は、同じようなものだ。


人生に勝ち負けがあるのか知らない。
だから人生に、"人生の勝機"があるのかは分からない。
でも人生の中で、小さな勝利、小さな成功はある(もちろん、敗北も失敗もある)。
人は、小さな勝利を目指して、その勝機をつかもうとする。
何度もチャンスがあり、何度も成功したり失敗したりしているのに、その成功の法則を覚えていない。
つかみ損ねたときのことはよく覚えているのに、勝利を挙げたときに、いつどうやって勝機をつかんだのかを覚えていないからだ。

何かを変えるために行動を起こそうと思ったら、こんなひと言で立ち止まらされた。
「まずは、時期を待つことです。時期が来れば、開けます」
勝機をつかもうと、目をギラギラさせていると、つかみ損ねないという教訓だと言い聞かせる。
待つことも、時には必要だと。



そういえば、ウチの太極拳では、やる気がリキミに繋がることを戒める。
いつも、ゆるんだ状態(体と心がリラックスし、いい意味で力の抜けた状態)でいることが大切だということ。
確かに、その状態なら、いろいろなことにすばやく対応できる。
待つときは、リラックスした状態で!
勝機のつかみ方、その壱として覚えておこうっと!!


2015/08/18   お盆

お盆の写真を見ると、羨ましいと感じる。
https://twitter.com/mari_kasejin/status/632504342071762944
長崎の精霊流し、
京都の大文字の送り火、
徳島の阿波おどり、
青森のねぶたまつり、
沖縄のエイサーもそうか......
故郷には、この時期、お盆にふさわしい行事がない。


家には仏壇があるが、迎え火や送り火はやらない。
提灯も下げない。
簡単な盆飾りをして、精霊馬を作る。
キュウリの馬と、ナスの牛。
ウチの盆飾りには不思議がある。
ほおずきを吊す横棒が2本あり、鳥居の形にする。
仏壇に鳥居......。
なぜ、そうするのか、毎年作っている母も不思議だと思っているという。
それが、嫁いできて教えてもらったやり方だから続けている。

地方によって、きっと盆飾りも違いがあるのだろう。
しかし、いろいろな地方のお盆を見る機会は、そうそうない。
正しいやり方があるのか、正解があるのか、知らない。
ネットを見ても、よくわからない。

そういえば、ウチの仏壇にはご本尊が祀られていない。お位牌だけだ。
昔からそうだったので、別段不思議に思わなかったが、どうも違うようだ。
父は、今のあり方が正しいと信じている。というか、疑いを持っていない。


どうも、人は年齢を重ねさえすれば、諦観に達することができるわけではなさそうだ。
いくつになっても知らないことはたくさんある。
何もなければ、知らないまま。
それが、知らなくてもいいものならいいが、人としてとても重要な何かだったら、どうしよう。
もう手遅れです......となってしまうこともあるのだろうか。
知ろうとする姿勢、教えてもらおうとする姿勢があれば、いくつになっても知ることは可能なはず。
自分の知識がすべてだなんて思わず、謙虚に行こう。


お盆休みが終わり、東京には人が戻ってきた。