2014/03/06   「やりがいのある仕事」って!?

「仕事」関連の取材をよくしていた時期があった。
職人さんからベンチャー企業のトップ、転職者にいたるまで、さまざまな人に話を聞いた。

ある企業に転職して、事務職に就いたOLさんを取材したときのこと。
正社員として採用していただき、事務の仕事にも慣れてきて、日々充実していると、企画主旨に沿った話しをひと通り聞き終わった後、そのOLさんが言った。
「もう取材はよろしいですか」
「はい、ありがとうございます。大丈夫です」
「・・・・・あのっ、ひとつ相談があるのですけど」

取材に行って、取材者から相談されることって、実はたまにある。
取材テーマから外れていって、一方的に話しを聞くということはしょっちゅうだった。

要領よく話しをまとめてくれたこともあり、お願いしていた取材時間にはまだ余裕があった。
「ボクでよければ」
「実は、この会社辞めようかと思っているんです」
・・・・・えっ!?
確か今まで仕事が充実してって、にこやかに応えてくれていたよね・・・・・。
一瞬、アタマは混乱した。
まだ、上司にも同じ部署で仲良くなった友だちにも言っていないという。
そりゃそうだ。
もし会社が知っていたら、取材対象者に彼女を選んではいなかっただろう。
そこからは、オフレコで話を聞いた。
それまで、満面の笑みを浮かべて話しをしていた彼女の目には、みるみる涙があふれてきた。
詳しいことは、これ以上触れないが、思いとどまったほうがいいとは言えなかった。




そのころ、「やりたい仕事」を見つけようとか、「自分にピッタリの仕事」はとか、そういった表現を随分使っていた。
今になって、へんに煽ってしまったのではないかと、反省の気持ちが沸々・・・・・。

そもそも、「やりがいのある仕事」というのは、そういった仕事が元々そこにあるのではない
その仕事に対する、自分の取り組みや姿勢が、「やりがいのある仕事」を生みだしていくものなのだ。
今やっと言葉にできて、自分の中で腑に落ちる。



もうすぐ4月。
新しい環境で、仕事をはじめる人がたくさんいる。

仕事をはじめたばかりのころは、予想も想像もつかないようなことがたくさんあると思う。
最初から、やりがいを見いだせる人って、まずいない。
もし最初から、充実していると感じているとしたら、それは「仕事」にではなく、入社した「会社」に対しての満足感であったり優越感でしかない、きっと。

本当に仕事に関わっていくのは、もう少し先のこと。
焦らずに取り組んだほうがいい。
やがて目の前にある仕事に、真剣に打ち込もうと思えてくるときが来る。
やればやるほど面白くなり、かつ難しく感じ、それでもやり遂げたくなり、寝食を忘れて考えるようになったときにはじめて、ちょっとはやりがいを感じられるようになるはずだ。
逆もあるかもしれないけどね。

ひとつだけ、覚えておいた方がいいことがある。
「雑用」って言葉があるけど、
「雑用が多くて、やる時間がない・・・・・」なんて絶対に言わないこと。
雑用って、不要な仕事という意味ではない。
組織やプロジェクトや、やり遂げなければならない仕事の中で、誰かがやらなければいけない大切なピースのひとつ。
こまごまとした仕事がないと、大きな仕事は完成しないものなのだ。

「雑用」というのは、ていねいにやっていると、いつの間にか手際よくできるようになる。
テキパキとこなせるようになったとき、脳はとても活性化しているという。
あなどれないぞ、「雑用」。




仕事をすること、働くことって、とても楽しいことだ。
仕事が、与えられるものではなく、自ら関わることで成り立つものだとわかってくると、その楽しさもだんだん感じられてくる。
仕事に自分の生気や思いを注ぎ込むことができてはじめて、それが「やりがいのある仕事」になっていく。


それは、自分の外にはない。
自分の中を探してみるといい。

うまく見つかれば、もう仕事が面白くておもしろくてたまらなくなるはずだ。








「社長~っ!」
「どうした、ジャケットの内ポケットを探したりして。まさか、やりがいが見つかりませんなんて言うんじゃないだろうな」
「うっ・・・・・、先に突っ込まれた」
「だっからよ~! まずは目の前の課題に真剣に取り組んでみなさいって!!」




参考:『頭がよくなる思考術』白取春彦著



2012/07/11   相手をリスペクトするということ

先月、6月20日にプロボクシングのミニマム級統一戦があった。
WBCチャンピオン井岡一翔(いおかかずと)とWBAチャンピオン八重樫 東(やえがし あきら)の戦いだった。
(しかし、名前読めないよね! カズトとアキラ)

TV放映の視聴率が、関東地区で18.2%、関西地区で22.3%で、たぶん今までボクシングを観戦したことない人まで熱くさせたのではないかと思う。
実際、Twitterで、以前ウチの事務所にいた、@plusbesugino さんなど、号泣したとツイートしていた。

ロンドン五輪出場が決まったサッカー日本代表の×バーレーン戦の視聴率が、関東地区19.3%、関西地区16.6%だったから、いかにあの試合が注目を集め、しかもいい試合だったかがわかる。

続いて先日、WBCスーパーフライ級世界タイトルマッチが行われた。
チャンピオン佐藤洋太×同級1位シルベスター・ロペス(フィリピン)の戦い。
ハードパンチャーで、高いKO率を誇る挑戦者とのことだったが、 リーチにまさり、トリッキーな動きをみせる余裕のあったチャンピオンが、挑戦者を翻弄して圧倒的な差で判定勝ちした。

そして、7月16日にはWBA世界スーパーフェザー級チャンピオンの内山高志が同級7位マイケル・ファレナスの挑戦を受ける。
内山高志は、かなりのハードパンチのチャンピオンで、スカッとした戦いが期待できる。
今から楽しみだ。



と、別にプロボクシングコラムを書いているわけじゃなくて、実は先日の佐藤洋太の世界戦の後で、気になるコメントを聞いてしまったのだ。

その世界戦を観戦していた、あのボクシング三兄弟の三男が、観戦後に「パンチもないし、(戦ったとしたら)普通に勝てる」とコメントしたとメディアが流した。
もちろん直接聞いたわけではないので、本当にそんなコメントだったのかどうか、真偽の程は定かではない。
しかし、なんだか寂しさを感じてしまったのだ。


戦いだから、相手を挑発したり、すかしたりするのは戦術のひとつである。
駆け引きはあって当たり前だと思う。
でもね、井岡と八重樫のような戦いを見ちゃったワケですよ。
我々はすでに。

そこには少なくとも相手をリスペクトする姿勢があったように思えたんだよね。

ボクシングのように、お互いの命を削りあうような戦いをするとき、そこでは相手をけなすこともなく、自分を卑下することもなく、ひたすら相手にパンチを入れることに集中するわけでしょう。
そんなやりとりをする相手が、"へなちょこ"じゃイヤじゃないですか。
なのに、あいつは"チキンだ"的な発言をいつもする(いつもメディアが流す)。

ボクシングって、見るほうは、一瞬も気の抜けないピリピリとした緊張感と、信じられないほど早く強いパンチと、折れない気持ちと、闘う姿勢を観たいのに、観る前から水をさされてしまう。

相手をリスペクトしないから、相手からもリスペクトされない。
だから凡庸な戦いしかできなくなってしまう・・・・・なんてことってあるんじゃないだろうか。



実は、仕事もいっしょだと、ずっと思っている。
取材先や取引先をいかにリスペクトするか、そして相手からもリスペクトされるか。
いや、リスペクトされることが目標なのではない。まず、相手をリスペクトすること・・・・・
リスペクトという言葉が適しているかどうかも怪しいのだが。
それは、やりとりの中で生まれてくる信頼感とか、相手のためにもっといいものを作りたくなる向上心とか、そういったもののことなのだ。
(もちろん、"純粋に"尊敬"できる人もいる)

版元だったり、作家さんだったり、タレントさんだったり、一般人だったり、お店の店長さんだったり、
またときには、企業の社長だったり、広告代理店の営業担当だったり・・・・・
我々の仕事の相手は幅広い。
しかし、相手によってその気持ちはわかることはない。
仕事は、相手をリスペクトすることからはじまる。

どちらが上とか下とか、ない。
エライとか、偉くないとかも、考えない。
どんなことを考え、何を思い、何をしてきて、何をしようとしているのか。
よくよく調べたり、事前に情報を仕入れていれば、自分にはない、自分にはできない、相手のスゴイところがたくさんわかってくる。
あるいは、話を聞きながら、そういった気持ちになることもある。

新しいことをはじめようとするとき、今までにない企画を考えているとき、相手とバトルことがよくある。
キライだから闘っているのではない。
リスペクトする気持ちをもちながら闘うことができれば、ひとつ上の高みに到達できるかもしれないと、思っているからなのだ。


取材の現場は楽しいし、企画の打ち合わせも楽しい。
楽しく意見を交わしたり、闘っていると感じられるときは、いいものになる予感がするし、
実際にできたり、読者やユーザーに好評だったりする・・・・・。

本当のところ、仕事の成果というのは、とても見えづらいものなのだが、
仕事の過程は、ボクシングの戦いのようにありたいと思う。


プロボクサーがリングに上がり、相手と拳を交えるように、仕事がしていければいいな!

















2011/11/05   休んだあとにくるもの

毎週土曜の午前中に太極拳をやっている。
太極拳といっても、健康太極拳だから本格的武術ほどは激しくない。
厳しくもない。

もう随分長いことやっているから、ひと通りの型は憶えている。
次はどういう動きか、考えなくても体が自然と型をなぞっていく。
考えなくても動けるのだが、やればやるほど師範との動きに、微妙な違いがあることに気づく。
このところずっと、"股関節をゆるめる"という大命題ができなくて、教室でも「できねぇ~」とつぶやいたりして、落ち込んでいた。


先月から仕事がたて込んできたこともあり、2週続けて休んだ。
今の教室にきてから休むのははじめて。
しかも先月は、教室自体の休みもあって、5週のうち2週しか参加できなかった。
先週も休みで、久しぶりの稽古だったのだが・・・・・。

なんだか、動きがよかったのだ。
実は最近、自転車で転けて、肩と股関節の外側を強打し、
今も少し痛みが残っているのだが、歩くときも時々ぎこちなくなったりしていたのだが、それなのに自然に動けたのだ。
しかも、"股関節をゆるめる"感覚が、すっと入ってきたような気がしたのだ。

なんだ、なんだ、これは!?


スポーツとか武術とかで、練習を積んで積んで、鍛えに鍛えて、技を習得しようと何度も何度も繰り返して、でも最後の壁をなかなか乗り越えられないときがある。そんなとき、いったいどうするか。
「一度、休みなさい」と言われたことがあった。


休む効果。
久しぶりに実感した。

休むことが、物事が好転する要因になる、ということに対しての裏付けを持っているわけではない。
あくまで自分の感覚だ。
ただ以前から感じているのは、ひとつのことに煮詰まったときには、そのことからまったく離れた何かをやったり考えたりしたほうが、煮詰まりは解消しやすいということ。

企画を考えるときも一緒だね。
ビールの企画を考えるとき、ビールのことばかり考えていたら、"おいしい"企画はできないってこと。



だけどこのあと、本当に自分のものにするために、つかまえたと思った感覚を、何度も繰り返し実感して体感して、意識してできるようにならないといけないんだけどね。

いただいたような気がした、かすかな感覚を大切にして、それに磨きをかけねば!



「社長~!」
「ちょっと待った!! 企画に煮詰まったから休ませろっていうんじゃないだろうな?」
「あっ、ずぼ・し・・・・・」
「だっからよ~!」









2011/10/19   企画と電車から考えた、すでにあるものに一喜一憂するということ

昨日の帰宅のとき、その前日に乗った電車よりも、新宿発が3分早いものに乗った。
そうしたらなんと! 家に着くのが、20分も早かったのだ!!

単にラッキーだったのか、"運"を引き寄せたのか・・・・・なんて思ってもみたが、冷静に考えると以前にも、この時間発の電車には乗っていたはず。
偶然にも、前日そしてたぶんその前日にも、その3分後の電車に乗っていたから、昨日のことがとても印象的だったのだと思う。


仕事上で企画を考えるとき、「企画というのは組合せだから」ということをよく言っていた。
まったくのゼロから、今までにない新しいことを生み出そうなんて考えてはいけない、ともよく言った。
だって、もし世の中にないまったく新しいものが目の前に出現したとしたら、人はそれを素直に受け入れると思う?
まず、見たことも聞いたことも、触れたこともないものには、警戒心をもつのが普通だと思うから。

仕事上で求められる企画というのは、例えば新商品を(もちろん、まったく今までこの世の中に存在していなかったものではない)、売り出そうとするとき、いかに人々にその商品を訴求し、いいイメージをもってもらい、手に取らせ、購入させるかを考えるわけだから、人が心地よく思ったり、安心して聞いてくれたり、信頼して購入するきっかけをあたえる内容でなくてはならない。
そんなところに、人が心から警戒心を抱くようなものを見せつけてしまっては、意味がない。

企画というのは、組合せなのだと思う。
さまざまな点と点を結びつけ、いかに目新しく斬新でユニークで心地よい組合せを提示できるかということ。
その組合せが、たったふたつの誰もが知っている結びつけだったら、きっと人の共感は呼ばない。
それは、面白くないとか、今までに見たことある、と言われてしまうのだ。

だから、よりたくさんの点を組合せて、しかもそれが複雑とは見せずに、さらにその点が思いもよらないものの組合せであったとしたら、人は興味をそそられ、意外性に驚き、企画として賞賛されるようになるのだと思う。


その「点」。
これは、世にすでにあるものたち。
この点自体が、まったく新しい存在であることはない。

点にしても、3分前の電車にしても、既存のものだ。
ただ、3分後の電車に乗ったことがなければ、3分前の電車に乗れば20分早くということは着くことは、実体験できない。
また、早く着くことをよしとするのか、ゆっくりでも座っていけるほうがいいとするのか。
もしかしたら、早く帰りたくない人だっているかもしれない。
そういう人にとっては、20分早く着くことが、いいことではないかもしれない。


われわれはどうも、"すでにあること"に対して一喜一憂しすぎているようだ。
それしか知らなければ、そのこと自体が"いい"とも"よくない"とも判断はつかないものなのに。

この前に書いた、「成功」と「失敗」だって、何を基準に成功、失敗と言っているのか、深く考えるとわからなくなってくる。
「今とてもつらい」と思っている人だって、別の立場の人から見れば「そんなもんで、つらいって言う?」ということだって、なきにしもあらず。
違った角度で見ることができれば、「あれっ? なんでつらいんだっけ?」となるかもしれない。

それは、心のもちよう・・・・・という言葉では片付けられない、もっと深い、人間としての何かがあるのだと思う。



「社長! ボクは目の前にある"締め切り"や"納期"に一喜一憂することをやめました!」
「だっからよ~!!」



2011/10/16   失敗は成功への近道!?

「マイクロ・スリップ(micro slip)」という現象。
ちょっとした(micro)したズレ(slip)を、繰り返し修正しながら最適な導線を発見しようとすること。

例えば、イチローのバッティング。
ボールにバットを当てるまでに、微妙にバットの軌跡を修正しながらボールを捉え、ヒットゾーンにボールを運ぶ。

コップをつかむという行為も、また同じ。
細かく見ると、指先はあっちへ行ったり、こっちへ行ったり細かい試行錯誤をしながら最適な動線を探す。そして、強く握るのか、滑らないようにはどのくらいの力でいいのかなどを修正しながら、実行するという。
繰り返し失敗しながら、運動精度は上がるものなのだ。


バイクが好きな人によると、コーナリングをするときには、コーナーを抜けた状態をイメージして曲がるという。
カーブに車体を傾けている状況を、一つひとつ細かく分解して、それを次から次へと実施していく感じ。
もちろん失敗すればクラッシュしてしまうので、繰り返し修正しながら、失敗をしないようにシミュレーションしてゆく。

コーナーを抜けていく自分を想定しながら、それに合わせていく・・・・・。
これって実は、未来に起こっていることに対して、今を合わせていく行為なのだと思う。


「時間は、未来から流れてきている」
ここでも少し前に書いたが、時間の概念は、過去から今へ、今から未来へ流れるもの、というのが一般的だったが、どうも最近は違うらしい。
未来と現在と過去は、一瞬にして存在する・・・・・、あるいは、未来から流れてくるらしい。


この次元に存在している我々、常に行う微修正と未来を想定した行動、これができれば目的に着実に近づけるのではないだろうか。



ビジネスの世界もよく言われること
「失敗はできるだけすればいい。ただし、致命的な失敗だけは避けるべき」ということ。

失敗は成功への近道
失敗を知らない者には女神は微笑まない
失敗のノウハウは成功への手引き・・・・・

失敗を修正しながら、成功への精度を上げていくのは、同じだ。
あと大切なのは、未来を想定したビジョン!



先日、亡くなった、スティーブ・ジョブズは、
アップル社を設立し、パーソナル・コンピュータを開発、マッキントッシュを作ったが、自分が作った会社から追放され、10年ちょいで復帰した。
その後は語るまでもない。
スティーブ・ジョブズが、自分の人生の断片でも、"失敗"と思っていたかどうかはわからない。
しかし、明確な自分のビジョンを持っていたからこそ、あれだけのことを実行できたのだと思う。
彼は、明確な自分の未来を想定し、そこに向かって進むだけだったのだ。


しかし、病に冒され、こんなに若くしてこの世を去ることを想定はしていなかっただろう。
肉体とは、まさにやっかいなもの。合掌




「社長! また仕事でクライアントを怒らせてしまいました!!」
「なに嬉しそうに報告しているんだ!」
「だって、失敗は成功への近道だって社長が・・・・・」
「だっっからよ~!」







2011/09/10   「自分の周りはバカばかり」は自分で望んだ世界

先日、通勤新幹線の中で延々としゃべり続ける女性の前の席に座ってしまった。
宇都宮から大宮までの約30分間、みごとに途切れることなく、そのおばさんはしゃべり続けた。
大宮駅で自分は乗り換えたが、きっと上野駅か東京駅まであのしゃべりは続いたことだろう。

なぜそんなに気になったのかというと、その話の内容が、ず~っと親戚や自分の周りにいる人たちの悪口だったからだ。
みんな「バカ」で、「世間知らず」で、「恥知らず」で、「悪人」で、その中にいて自分だけは常によい行いをしているのだけれど、誰も理解してくれない・・・・・。そのバリエーションの豊富さは、そんじょそこらの物語よりもドラマチックなほどだった。
(別にその女性はオレに話していたわけではないけど、どう考えても誰かに聞かれていることを前提に話していたと思うんだよなあ。というか、世間に自分をアピールしているというか・・・・・)

話を聞かされ(?)て思ったのは、
"あなたのその世界は、自分で望んだ世界であり、自分設定した世界なのだ"
ということ。

きっと、周りの「バカ」や「悪人」は自分で引き寄せ、それに囲まれている自分の状況も自分でつくった世界なのだ。



だから、仕事環境や自分の人生が、かの女性のようではいたくないと思ったら、
「自分の周りには、尊敬できる人、気持ちのいい人、優しい人、できる人、気がつく人、発想の豊かな人、豊かな知識をもっている人、一緒にご飯を食べたくなる人、飲みに行きたくなる人・・・・・が多いんだよね!」
と言い続けていればいいのだと思う。

言い続けていれば、そんな人たちが集まってくる。
必ず・・・・・



「社長! ボクの周りには、美人でグラマーで頭が切れて優しくて、そんな女性が多いんです・・・・・言い続ければ、何とかなりますか?」
「・・・・・だっからよ~!」





2011/09/07   もうひとつの「2」――「ダブルバインド」

前回、「脳のデュアルタスク」のことに触れた。
そのついでといっては何だが、「2」繋がりで、「デュアル・バインド」のことをちょっと・・・・・。


「デュアル・バインド」とは、二重拘束のことで、人を追い詰めて精神を失調させるコミュニケーションパターンのことをいう。

「デュアル・バインド」では、
メッセージを間違えて解釈すると罰せられるが、正しく解釈しても罰せられてしまう。


例えば、スポーツのゲームで敗れてしまった選手たちに監督が言う、こんなケース。
「どうして負けたかわかるか?」

この問いに対して、選手たちの答えが間違っていれば当然、罰せられる。
しかし、仮に正しく答えたとしても、罰せられる。それは、
「なぜ、負ける理由がわかっていながら負けるのだ!」
となるからだ。

選手たちは、どのように答えても罰せられることとなる。
受ける側は精神を失調させざるを得ない・・・・・。



しかし、これを利用するパターンもある。
「権力者」
強力な上下関係を打ち立てようとする者にとっては、効果的な方法ではある。


「なぜ、こんなわかりやすい仕事でミスをするんだ!?」
―――こんな発言をする上司にあったことないだろうか?
―――こんな発言を部下に言ったことはないだろうか?




「社長! どうしてウチはボーナスがチョビットしかでないんですか?」
「それでオレを精神的に追い詰めようとしているわけ? キミがもっと稼げば何とかなる問題かもね」
「うっ! 自業自得・・・・・」
「だっからよ~!」


2011/09/03   「ふたつの仕事を同時にこなすのが脳の限界」!?

前のHPのときのブログでも少し書いたが、

「人間の脳はデュアルタスクが限界」らしい。

昨年、フランスの研究者が発表したというニュースだったが、
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1004/20/news006.html

人間の脳は、同時にふたつのタスクを処理することはできるが、3つ以上になると脳の処理能力を超えてしまうという内容だった。

なんでも、脳の「前頭前皮質前部」が、"同時に複数の目標を追求する能力を実現している部分"であり、ふたつのタスクが与えられると、処理能力を左右の脳に振り分けるのが確認されたのだという。

「人間の認識能力は基本的に二重構造となっている。人が二択を好み、三択以上になると難しいと感じるのは、前頭葉機能が3つ以上のタスクや目標を同時に処理できないことを示している」といったものだった。

前のブログでは、
今の世の中、白黒はっきりつけさせたがる傾向があるが、日本には昔から曖昧の思想があり、その中間にある灰色も許容する―――といったことを書き。
さらに、右脳と左脳が同時にふたつ以上のことを処理しきれない状況が続いたとき、「しゃあないな、では真ん中あたりで・・・・・」と、柔軟に対応するになるのでは?
それが進化なのでは?
そういえば、第三の目というのも・・・・・進化のひとつか?
みたいなことも書いた。


じゃあ、仕事ではどうなのかを、その後ずっと考えていた。

同時に進行させている雑誌や企画が、"ふたつ"なんてことはない。
企画中のものを含めると、10は下らない。
実作業を並行しておこなっているものも5つ以上ある。
これらのすべてに全勢力を傾けて考えていられるかというと、確かに違うかもしれない。

あの記事を読んでからは、同時に集中するのはふたつまでにしようと、自分で決めている。
ある程度考えがまとまってきたら、前のタスクをキレイに脳の奥の方にしまい込んで、次のタスクを前頭葉に出して考えるようにしている。
どうも、脳の真ん中あたりで考えることもまだできなさそうだし、眉間のあたりにありそうな気もする第三の目もまだ活発に働いていないようなので、仕方がない。
時にはふたつのことしか処理できないなら、それを何度も繰り返そうと思ったのだ。
で、完璧にできているのかは、わからない。でも、何となく自分には合っているし、できているような気もする。

ひとつ確実にわかり、実行していること。
それは、新人君などに仕事を頼む場合、ふたつまでにするということだ。
大きな組織にいる人には、きっとわかると思うが、理能力を超えてしまって脳がフリーズしている人って、外から見ているとわかるでしょう?
きっと、3つ以上のタスクが脳に課せられてしまっているのですよ。



「社長~! 脳が処理能力を超えていると悲鳴をあげています!」
「今、抱えている課題を言ってごらん?」
「え~っと、昨日の夜のケンカはボクに原因があるのか彼女のほうにあるのかと、昼飯はどこに食べに行こうか・・・・・」
「それでふたつ・・・・・おしまい? だっからよ~!