2017/05/26   一年あれば人は変われる

ちょうど一年前、『聞いてびっくり「あの世」の仕組み』が編集・発行された。
一年経っても売れ続け、現在16刷で12万8000部まできている。
書籍のおもしろさがわかった。
同時にたいへんさもわかったけど、
雑誌編集から書籍編集・執筆へと移行しつつあるのがとても嬉しい。

その一年前を振り返ると、
ちょうど今ごろ「エニアグラム」のMOOKの編集をしていた。
この「エニアグラム」に出会わなかったら、きっと今の自分はなかっただろう。
編集をしていただけなのに、驚くほどのショックを受けた。
今まで自分が信じていた"自分像"をまったく否定された。
否定されて、「そんなわけないだろう!」と自分を真剣に何度も振り返っているうちに、言われた通りのほうが、だんぜん自分が自分らしいことに気がついた。
それからは、いたって気が楽になった。

この一年で取り組み始めていることがいくつかある。
ひとつは、旧暦のリズムで生活するとどうなるのかを自分で試していること。
アレルギー物質をからだから少しずつ取り除くことや、
合成洗剤や化学物質を極力使わないことも、そのひとつ。
エコロジストになったわけではない。
自分が快適と思う感覚に素直になりつつあるだけだ。

今日5月26日は、旧暦で皐月一日。
新月の日に何かをはじめるのは、理にかなっていると思っている。
本日、歯の金属をひとつ外してきた。
アレルギー反応のある金属を取り除くことをスタート。
さて、どのような身体反応が待っていることやら。

そうそう、ブログも新月スタート!
きちんと続きますように!!




2015/03/05   サボっていました!

昨年の9月から、実績の更新やら、自分のブログの更新やら、何もかもサボっていました!

覚書のようなものは、以前使っていたブログにアップしたりしていたのだけど、そのブログは一般公開しているものではなく、そういえば最近、Twitterにもなにもコメントを載せていませんでした。

ネット社会の今、SNSがこれだけ普及していると、ネット上にコメントを出していないと、存在していないと思われてしまうのではないかと思ってしまいます。
でも、わたくし生きております。

いろいろと考えることもあり、いろいろと行動することもあり、いろいろと悩むことも......少しはあり、そして今も変化し続けております。

途絶えていた間に編集をお手伝いした、松原照子著『不思議な世界の方々から教わった予知能力を高める法』は、現在6刷。多くの人の手元に、本が届く楽しさを実感しています。

考えること、感じること、伝えたいこと――ますます発信していこうかなっと!



さてさて、次の更新はいつになることでしょう......


2014/03/21   判断するということ

人は、さまざまなシチュエーションにおいて、常にものごとを判断しながら生きている。

では、判断するとき、何を基準としているのだろう。



経営者が、「会社と従業員の利益を最優先に考える」と言うことに対して、
それは違うという人は少ないだろう。

しかし、どうも、そういうことじゃないような気もするのだ。
(迷う経営者、悩む経営者・・・・・)



思想家、哲学者の言葉から。

「損得を考えているから、何が正しいか分からなくなる」

何が喜ばしいかを基準にせよ。

自分にとってではなく、多くの人にとって喜ばしいことを。






「プラスかマイナスかという価値判断基準を捨てよ」

健康はプラス、病気はマイナス

合格はプラス、不合格はマイナス

お金がたくさんあるはプラス、お金がないはマイナス

地位が高いのはプラス、低いのはマイナス

生存はプラス、死はマイナス

安楽はプラス、苦労はマイナス・・・・・

こういった価値観や考えをもっている限り、それらの基準に照らし合わせて
自分はプラスの状態か、マイナスの状態かを判断してしまう。

周りの価値観にあわせることは悪いことではないが、
物質的な観点のみになってしまうと、物質的な成功こそがプラスとして
意味や価値をもつことになってしまう。




成功している企業には、金儲けだけでないコンセプトがあるとよくいわれる。

何をもって成功なのか、その判断基準が、物質的なこと以外にもあるということなのだろう。

人の人生の最終目的は何なのか・・・・・。




「人生をつまらなくするのは簡単だ。結果や報酬を目的として生きればいい」

物質や金銭は、人が利用するものであって、それ自体には価値はない。

価値になり得るのは、心や精神に触れるものだ、と思想家は言う。





「価値」というのは、あらかじめ決められて、そこにあるのではない。

何かに「価値」を与えるのは、常に自分自身である。



人生において、あらかじめ用意された「正解」は、どこにもない。

意味を備えたものがあるのではなく、自分自身が関わったときに初めて意味をなすのだ。



さらに、あらかじめ固定された「自己」はない。

何かに成ろうとし続ける、その継続によって「自己」ができるのだ。


人は何にでもなれる。

何でも自由にできる。

可能性は大きく開かれている。

性格は、固定されたものではない。

だから、周りの意見や占いなどによって、自分の可能性を狭くしない方がいい。





では、会社で、この事業体で何をやっていくのか。


こんな言葉にも出会った。

「仕事」そのものには意味はない。

「仕事」は、道具にすぎない。

「仕事」は、自分を表現する道具でしかない。

「仕事」をすることを通じて、自分自身が意味をもつ。

どのような「仕事」であっても、本質は世の理を表現すること。





何が正解なのか、それは時間が証明するのだろうか。

あの時、こうしておけば良かったとか、

あの時、こうしたから今があるとか。


本質的なことを見極めるには、

時間と空間を俯瞰して全体を見渡せる視点を

もたなければいけない。




そっか・・・・・

to be continued








「社長~っ!」
「なにかな?」
「全体を俯瞰して見る目をもてと教えてもらいましたが、時間も超越するんですか?」
「そうだね・・・・・無記!」
「あ~っ! また、都合の悪いことになるとすぐ"無記"だ!!」
「だっからよ~! ・・・・・確かに都合いいな」







参考:白取春彦著『頭がよくなる思考術』
白取春彦著『頭がよくなる逆転の思考術』
飯田史彦著『完全版 生きがいの創造』





2014/03/07   心配しないで

朝、出がけに母親から、「今日は雨が降るんじゃない? 傘を持っていかないと濡れるわよ!? バス乗れないかもね・・・・・」そんな声をかけられた経験がある。
親は子供のあれこれを「心配」して声をかける。


学生になり、「明日の試験大丈夫かなあ・・・・・」「彼女とうまくいくかなあ・・・・・」とか、
大人になり、「今進めているプロジェクト成功するかなあ・・・・・」とか、
自分が親になり、「子供の将来は大丈夫かなあ・・・・・」などなど、
心配事は尽きることがない。


しかし!
今自分は、あらゆることに「心配」をしたくないと思っている。
自分の将来も、会社の経営も、世の中のことも、すべての未来も・・・・・。
なぜかというと、「心配」の中身は悪いこと、不吉なことばかりだと気づいたからだ。

起こっていない悪いことを想像して、しかもそうなるだろうと決めつけているのが「心配」の正体ではないか!



なぜ心配をするかというと、それは相手のこと、あるいは自分のことを信用していないから。
信用していれば、失敗すること、悪い状況になることを前提にはしないはずだ。
「あなたのことを心配している」「自分の将来が心配」
それは、
「あなたは必ず失敗する」「自分は絶対ダメになる」と言っているのと変わりがない。


「不吉なことは口にするな」とよく言われるが、
そのまさに不吉なことを、相手や自分に投げかけているのが、「心配」なのだ。

さらに心配する人は、あとで必ず言う、
「ほろ、やっぱり心配した通りだ」
悪い結果や不吉な出来事を楽しんでいるかのようにしか聞こえない。



心配することが悪いことだと教えてもらったことがない。
親からは、普通に、そして当たり前に「心配」されてきた。
親だって、子供を心配するのは、親の義務や役目だと思っているところもある。

しかし、よく言うじゃないですか、
「まだ来ていない未来を必要以上に案じたり、過ぎ去ってしまった過去にとらわれすぎてはいけない」って。

だから、これからは「心配」することをやめようかと思う。
「あなたのことが心配だから」、そういう人にも、
「大丈夫、心配しないで」と言って、少しずつ後ずさりしていこうかと思う。

だって、不吉な言葉を浴びせられたくないじゃないですか!







「社長~っ!」
  ズリズリ・・・・・。
「後ずさりしながら、何しているんだ?」
「もう自分のことが心配で心配で。
 心配性の自分から少しでも離れようかと思って・・・・・、でもなかなか」
  ズリズリズリ・・・・・
「ずっとやっていれば!?」


「え~っ、社長! 今回「だっからよ~!」はなしですか?」





参考:『頭がよくなる思考術』白取春彦著




2013/08/12   言葉をおろそかにすると......

言葉をおろそかにして育った人は、特に"他者視点"が弱いという。

「子供のころから社会の中で人と会話をすることが少なく、言語活動の訓練ができていないと、脳は充分に成熟できない。すると、他者との関係性をよく理解できずに、自分の立場ばかりを主張し、自己中心的な方向に行きがちになってしまう」
だから、「他者視点でものが見られない人が多くなると、争いごとが増える」のだそうだ。


人類は言葉をもったことにより進化してきた。
言葉で考え、言葉で伝え、言葉でコミュニケーションをとり......脳は発達した。
そして、言葉を得たことにより"他者視点"でものごとを見る能力を身につけ、「有限」「無限」を知ることになった。
動物たち、例えばサルやゾウ、ライオンは、自分の命の有限さを理解していない。
宇宙の無限さを想像することもしていない。
たぶんだけど。
人は、命の有限さを知ったことで、宗教や哲学、医学や科学を生みだし進化させた。
さらに、地球資源の有限さを知ったことで、......奪い合いが起きた。
"他者視点"をもったことで、争いごとは増えてしまった。




人は言葉を得ることで、脳を大きくしてきた。
しかしこのところ、脳は肥大化してしまい、脳の「理」の部分は暴走を続けているといわれている。
遺伝子は、長い時間をかけて人を環境に適応させたのに、脳はその環境を壊しはじめているのだ。

「理」の暴走は、一向に止まる気配を見せない。
それは、社会制度を作る立場の人が人間特性を理解せずに、人の本質に反するイデオロギーや社会をかえって悪くする理屈を作り上げているのにも一因があるともいわれる。
暴走がこのまま続くと、脳の動物的な本能の調整機能が弱くなってしまい、脳自らが長い時間をかけて自死してしまう懸念もあるという。それは脳が、自ら死を選んでしまうことが一番楽だと判断しかねないとも限らないからだ。

暴走を抑制するには、「情」の部分の働きを高めることが必要とされるが、情動や感情、動物的な本能といった「情」の部分だけに配慮すれば何とかなるという単純なものではなくなってしまっている。



では、何をもってすれば脳の暴走はおさまり、人は争いごとをやめるのか。

"他者視点"が人間だけの特別なものであるならば、その定義をアップグレードすることがひとつの答えになるかもしれない。
自己→自己+他者→社会→地球
"他者"の定義が大きくなればなるだけ、おのずと"他者視点"も変わってくる。
地球規模の"他者視点"がもてたとすれば、そこには新たな可能性が生まれる。
脳はもともと自己を守るために機能する。
だから、脳の自己の定義を広げ、さらに"他者視点"を思い切り広げることができれば、きっと脳は自ら最良の方法を導き出すはずだ。
そのときがくれば、今まで人がもっていた"他者視点"も意味が変わり、大きな意味での"未来視点"になると信じる。



"他者視点"の定義を変えるには、「言葉」の役割が非常に重要になってくる。
言葉自体がアップグレードするのか、言葉にまつわる環境や状況が変わるのか、言葉に何かプラスαの力が備わるのか、あるいはそういったことが複数同時に起きるのか......。
さまざまな可能性が考えられるが、「言葉を大切にすることが、未来を開くきっかけになる」のは間違いがない。
言葉に関わる仕事に携わる身としては、言葉の潜在的な可能性をもっと引き出し、大きく育て上げなければならないと思う。

言葉一つひとつ、魂を込め、ていねいに、発し、書き、伝えていこう







「社長~! これから特に気をつけて「言葉」を大切にしていきたいと思います」
「そうだな。昔から、言霊といわれるように、言葉には魂が込められているといわれているからな」
「よーし! 超やる気なってきた!! マジがんばるっス!!!」
「......だっからよ~!」





参考:『和解する脳』池谷裕二×鈴木仁志 共著


2012/01/03   変わらなきゃいけない年なのだ

昨年の目標のひとつに「120冊の本を読む」というのをあげていた。
昨年末、数えてみたら114冊だった。
目標には達さなかったが、いいタイミングでいい言葉にたくさん出会えた。

特に、ビジネス系の本ばかりを読んでいるワケではない。
エンターテイメント系や歴史物、ファンタージなど、はっきりいってジャンルはバラバラ。
でも、自分の琴線に触れるなにかには、ジャンルに関係なく出会えた。
年末に読んだ、内田樹著『呪いの時代』もおもしろかった。

その中で、考えさせられた内容のひとつ。
自民党時代の首相の話が書かれている。


その首相には、実現すべき政治的ビジョンがなく、情理を尽くして有権者に伝え、その同意と支援を取り付けるという発想がなかった。
彼の政策はすべて、
「すでに起こってしまったトラブルやミス」の「尻ぬぐい」であり、
すでに現出してしまった「困ったできごとへの対処」しか語らない。

自民党の政治のみならず、今の民主党の政治も大同小異。
政治家の発言を注意して聞いてみるとよくわかる。
自分の、あるいは政党の政治的な主張をしているのか、
今起こっていることに対する対処だけを言っているのか(あるいは、今起こっていることへの批判だけをしているのか)・・・・・。


読んでおもしろかったのは、"なるほど"と思ったからだけではない。
これは、政治のことのみならず、会社の経営にも当てはまると思ったからだ。


小さな会社でも経営していると、銀行さんと付き合うこともある。
そこで必ず言われれること。
「当期、これだけの売り上げがあったわけだから、次は10%アップぐらいが目標ですね」とか、
「前期、これだけマイナスだったから、今期はここは抑えて、これだけプラスにしなきゃいけないですね」。
そして、その数字の目標に対しての、できるだけ具体的な対策を求められる。

当たり前だといえば当たり前なのだが、社長として陥りがちなこと、それは、
「対策、対処しなければならないことを社員に強いてしまう」こと、ではないだろうか。


状況が厳しいから・・・・・と社員に我慢を強いてはいなかったか?
赤字の時のツケの尻ぬぐいをさせてはいなかったか?
その先にあるべき"ビジョン"を、社員と共有できていたか?

批判していた政治家と同じことしかやっていないようじゃ、恥ずかしいではないか。
社員のみなさん、すみません。
そんな経営者だったかもしれません。


会社は、営利を目的とし、経済活動を推進するためにあるもの・・・・・である。
しかし昨年、我々は、自然の大きな激震のあと、「人の幸せよりも、経済活動を優先させる愚かさ」をたくさん目の当たりにしてきた。
そして、どうもそれは違うんじゃないかと思い始めた。



たぶんもう、今までの考え方を変えなきゃいけない時期なんだと思う。
"奇跡の復興"を遂げた20世紀の日本を振り返り、
「やっぱり物づくりでしょ日本は」と言っていること自体がもう古い。
物づくりで急成長していた時代には、誰も"物づくりが日本を救う"なって言ってはいなかった。だってそれはその時代には、当たり前のことだったから。
"物づくり"なんて言い出すころにはすでに遅い、手遅れなのだ。

20世紀を振り返って、古き良き時代を取り戻そうというのは、ありえないことなのだろう。
きっと、それでは乗り越えられないのだ。
21世紀には、新しい価値観、人のつながり(組織やコミュニティのあり方)、考え方が必要になってくる。それに少しでも早く近づき、自分のものにしなければならない。


「社長! ご決断を!!」
「だっからよ~!
 2012年からは、21世紀型の社長になるのだ!!」







2011/12/23   体の声を聞くということ

今年の念頭に、「自分の体の声をきちんと聞くこと」を目標のひとつにした。
それは、年齢を重ねるごとに、自分の体に随分と無理を強いてきただろうなあと思ったからだった。

きっかけは、40代のちょうど厄年の時の、アキレス腱断裂。
その十年後、50代の前半に突然、眼底出血を起こし手術をするといったことがあったからだ。
前触れとか、前兆とかを感じることができていたら、そんなことにはならなかったのではないかとずっと思っていた。

具体的に何をしたかといえば、太極拳を続けたことと、ヨーガの資料を取り寄せたことくらい。
iPhoneに、座禅のアプリをダウンロードもしたっけ・・・・・。
まだ、自分がイメージする体の声を聞く」までには至っていない。
今年もままならなかったなあ、なんて思っていたら、ちょうど読んだ本の中に「自分の細胞と話をする感覚を身につけた」と書いてあった・・・・・。

『死なない練習』 長友啓典著
エディトリアル・広告デザインの御大、長友さんの著書だ。

長友さん、昨年、食道がんの手術をした。
手術は成功し、今は現役復帰している。
この本には、今までいかに暴飲暴食をしてきたか・・・・・から、がんが見つかり、手術、入院、復活までのことが書かれている。

ちょうど先日、新しい仕事のお願いで久しぶりにお目にかかったが、以前よりも一層温和になられた印象だった。
でも、仕事では相変わらずキレがよく、いいアイデアをちょうだいした。

その著書の中に書かれていたこと、引用する。

入院してええ経験になったと思うことは、自分の細胞と話をする感覚を見つけたことや。
身体の「司令塔」をやっているのは、このオレや。医者でもない、薬でもない。
自分の「気」が、自分の体をつかさどっているという感覚の発見や。

ちょっと前までは、自分だけで味わっていた食事を、細胞にも喜んでもらうためには、どうしたらええかということを考えるようになった。
年取っても、新しい細胞は生まれてくる。そいつらは、ボクがこれまで何食べてきたか知らないわけや。
ボクの「暴飲暴食」の過去を知らない純粋な細胞たちなんやと思うと、あまりムチャなこともできんわな。

手術のあと、管を一本一本はずしていくたびに、細胞がよみがえっていくような感覚を知った。

親方であるボクの方から話しかけんと、細胞の方でも聞く耳は持たんと思う。

人と比べたり、見栄を張ったりする、そういう感覚を内側に向けてみると、細胞がやっと気づいてくれた思て元気になっていく気がする。
これ以上のことは、ボクと細胞のあいだの秘密・・・・・


長友さんは、自分の体と自分の細胞と日々話をしているのだろう。
毎朝1時間の"アササン"を欠かしていない。(アササン=朝の散歩ね)
食事にも随分と気を遣っているようだ。
「酒よりも自然治癒力がほしい」ともいう。
ただ、細胞とうまく話ができているから、仕事にも復帰でき、好きなゴルフも再開でき、またおいしいものを食べられるようになったのだろう、きっと。


長友さんの会社は「K2」という。
相棒の黒田征太郎さんと会社を作ったのが1969年。
今までに100人を超えるデザイナーが、K2から飛び立っていったという。


"社長"の大切な仕事のひとつは、常に健康でいること。
病気がちで、会社を休みがちな社長って、あまりいない。
学生のころ、体育会系で体力に自信があると、ついつい無理をしがちだが(無理というのは、自分の体の声を聞きもしないでがむしゃらに働くこと)、それは社長の仕事をひとつ放棄していることと同じなのかもしれない。

早く、自分の体の声を聞けるようになろう!
来年といわず今すぐにでも達成したい目標のひとつに設定!!


「社長! "来年のことを言うと鬼が笑う"といいますが、年末のこんな時期になっても来年の話をしたら鬼は笑うのでしょうか?」
「だっからよ~!」







来年になったら、これをしようとか、あれをこう変えようとか思うんだったら、今から、やれよ! ってこと。
とても大切だと思ったことは、「これが終わったら」とか「区切りが付いたら」とか、「年が明けたら」じゃなくて、すぐにでも実行しなさってことなんですね。








2011/08/13   苦労なんて思って仕事をしていていない

営業職を10年ほど続け、その後、編集の仕事をはじめて最初のころだったかと思う。
ある著名なベンチャー企業の社長にインタビューをする機会があった。

お話を伺っていく流れの中で、「これだけ会社を大きくしてきた今までで、もっとも苦労したことってどんなことでしょうか?」と伺った。
その社長は即答した。
「仕事で苦労と思ってやったことはひとつもない」と。
ちょっとムッとされていたかもしれない。

それはこちらが勝手に考えていた、"苦労を乗り越えて成功へ"というストーリーを見透かされたからかもしれない。
小賢しかった。

この言葉は、とても印象に残り。
自分で会社を興してからも、何度も思い起こし、考えている。


目標があり、そこに向かっていく課程で起こるさまざまなこと。
それは、当たり前に乗り越えなければならないことで、それを苦労だと思うこと自体が間違っている。

また、成功するためには、苦労が必要というのも同様だ。
成功しなかったのは、苦労が足らなかったから。
これも、何かをすり替えてしまっている。


目標を高次のレベルで達成するためには、その過程も高次のレベルであらなければならない。
それは、苦労でも努力でもなく、当たり前のことなのだ。
ようは、自分がそこを目指すか、目指さないか。
長い距離を歩けば、遠くまで行ける。
急な坂をたくさん登れば、高いところまで行ける。
それは、当たり前のことなのだ。


「ところで社長。苦労は買ってでもせよといいますが。どこで買ってきましょう?」
「・・・・・だっからよ~!」