2015/08/10   言葉に含まれる意図

代表監督のコメントがひとり歩きする。
メディアは、読む者があれこれと想像できようなコメントを伝える。

「言い訳ばかりしているとメディアは伝えているが、それに対して怒っている」と言ったとか、
「わたしは、フットボールを知っている」と言ったとか、
まるでケンカを売っているよう。

格好の餌食となるのに......。

監督のコメントよりも、選手のコメントに気になるものが多かった。
「自分のクオリティーの低さを痛感した」
「自分は代表に縁がないのかな」

反省のコメントはまだいい。
しかし、マイナスの要素が強すぎるのだ。
選手は、そんな悲しいコメントをはいてはいけない。
選手に、そんな悲しいコメントをはかせてはいけない。

マイナスは、マイナスを呼び込む。


監督は、今回のメンバーの中で、2、3人素晴らしい選手を見つけたという。
ということは、20何人かはダメだと言うこと。

だんだん代表、観たくなくなっちゃうなあ......。



言葉はひとり歩きをする。
発したときと違う意図で伝わることもある。
しかし、伝わるだろう方向性を想像することはできる。
防御策を施すことも不可能ではない。
それよりもなによりも、向いている方向性が"健全"でないといけない。

言葉をつかう者として、人の振り見て我が振り直そっと思った。


言葉は意図が含まれている。
狂気と驚喜とどちらにも変容する準備を整えて待っている。



ところで、代表監督とオーケストラの指揮者って似ているもの?
どんなにいい演奏者が揃っても、どんなにいい楽器を揃えても、指揮者がどんな音楽を奏でたいかによって、演奏されるものは大きく違ってきてしまう。同じ曲とは思えないほどに。
逆もまた真なり!

どうせなら、心に響いてくるようなエネルギーに満ちた、感動的な音楽を聞きたいものだ。



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