2014/03/25   「言葉」のこと ―続―

つい数日前に書いたことを、さっそく自己否定してしまうのだ。


書いたことは ↓ コレ。


人は考えるときに、「言葉」を使って考える。
「言葉」は、考えるための道具だということができる。


というもの。

考えるときに、「言葉」だけを使っているのではないような気がしてきた。



思考する際、確かに「言葉」使っている。

しかし、「言葉」はひとつの要素で、もっと別のものも含めて思考は行われている。



例えば、数学者が数式を考えるとき、数字は「言葉」と置きかえられるかもしれないが、

数字の組合せや展開は、数字だけでは表せないものだ思う。



アインシュタインは、頭の中にイメージが浮かび、

それをいろいろと組み合わせたり操作したりして、

最終的には数式というカタチで出力していたという。


浮かんできたイメージを、ひっくり返したり、裏返したり、分解したり、統合したり、

変形させたり、化学反応起こさせたり・・・・・。


もともと思考は自由なものだから、「言葉」にとらわれすぎる必要はないよね。

「言葉」を生業としていると、「言葉」にこだわをもちすぎてしまう。


「言葉」は、使い方によっては本質を飾り立て、本質を見えなくしてしまう危険性も

はらんでいることは忘れずにおこう。



言いたかったのは、「言葉」は大切だよ!

ということだったんだけどね。



思考の自由さも大切だよ!!






2014/03/21   判断するということ

人は、さまざまなシチュエーションにおいて、常にものごとを判断しながら生きている。

では、判断するとき、何を基準としているのだろう。



経営者が、「会社と従業員の利益を最優先に考える」と言うことに対して、
それは違うという人は少ないだろう。

しかし、どうも、そういうことじゃないような気もするのだ。
(迷う経営者、悩む経営者・・・・・)



思想家、哲学者の言葉から。

「損得を考えているから、何が正しいか分からなくなる」

何が喜ばしいかを基準にせよ。

自分にとってではなく、多くの人にとって喜ばしいことを。






「プラスかマイナスかという価値判断基準を捨てよ」

健康はプラス、病気はマイナス

合格はプラス、不合格はマイナス

お金がたくさんあるはプラス、お金がないはマイナス

地位が高いのはプラス、低いのはマイナス

生存はプラス、死はマイナス

安楽はプラス、苦労はマイナス・・・・・

こういった価値観や考えをもっている限り、それらの基準に照らし合わせて
自分はプラスの状態か、マイナスの状態かを判断してしまう。

周りの価値観にあわせることは悪いことではないが、
物質的な観点のみになってしまうと、物質的な成功こそがプラスとして
意味や価値をもつことになってしまう。




成功している企業には、金儲けだけでないコンセプトがあるとよくいわれる。

何をもって成功なのか、その判断基準が、物質的なこと以外にもあるということなのだろう。

人の人生の最終目的は何なのか・・・・・。




「人生をつまらなくするのは簡単だ。結果や報酬を目的として生きればいい」

物質や金銭は、人が利用するものであって、それ自体には価値はない。

価値になり得るのは、心や精神に触れるものだ、と思想家は言う。





「価値」というのは、あらかじめ決められて、そこにあるのではない。

何かに「価値」を与えるのは、常に自分自身である。



人生において、あらかじめ用意された「正解」は、どこにもない。

意味を備えたものがあるのではなく、自分自身が関わったときに初めて意味をなすのだ。



さらに、あらかじめ固定された「自己」はない。

何かに成ろうとし続ける、その継続によって「自己」ができるのだ。


人は何にでもなれる。

何でも自由にできる。

可能性は大きく開かれている。

性格は、固定されたものではない。

だから、周りの意見や占いなどによって、自分の可能性を狭くしない方がいい。





では、会社で、この事業体で何をやっていくのか。


こんな言葉にも出会った。

「仕事」そのものには意味はない。

「仕事」は、道具にすぎない。

「仕事」は、自分を表現する道具でしかない。

「仕事」をすることを通じて、自分自身が意味をもつ。

どのような「仕事」であっても、本質は世の理を表現すること。





何が正解なのか、それは時間が証明するのだろうか。

あの時、こうしておけば良かったとか、

あの時、こうしたから今があるとか。


本質的なことを見極めるには、

時間と空間を俯瞰して全体を見渡せる視点を

もたなければいけない。




そっか・・・・・

to be continued








「社長~っ!」
「なにかな?」
「全体を俯瞰して見る目をもてと教えてもらいましたが、時間も超越するんですか?」
「そうだね・・・・・無記!」
「あ~っ! また、都合の悪いことになるとすぐ"無記"だ!!」
「だっからよ~! ・・・・・確かに都合いいな」







参考:白取春彦著『頭がよくなる思考術』
白取春彦著『頭がよくなる逆転の思考術』
飯田史彦著『完全版 生きがいの創造』





2014/03/18   自ら閉じてしまっている未来と可能性

最近、不快なニュースが多すぎだ。

特に違和感を覚えたのが、STAP細胞のこと。
TVでちょっと見ただけだから、詳細・真実はよくわからないが、
同じ職場の上司、本来だったら守らなければならない組織の中の人間を、公の場で否定する、あの感覚は何なんだろうか。
正義感を振り回しているのだろうか。
それとも何かを隠そうとしているのか。

メディアの取り上げ方も同様。
ニュースがまるでバラエティ番組のようで、こちらにも違和感を覚える。



真実は、わからない。
発表当初から、従来の薬剤関係企業や古参の研究者たちがが黙っていないだろうとか、無責任な声が聞こえていたが、今となっては案の定・・・・・なのか、どうなのか。

場外の意見の中には、発表するメリットって何かあったの? というものもある。
明らかなウソをついてまで表に出る理由が何かあったのだろうか。

そんなことだけじゃない。
科学って、世の中のシステムって、それでいいんだっけ?
ネット上で批判している人たちのコメント読んでいて、あれっそうなのみんな・・・・・とも思ってしまう。






以前、仏教の教えで、「無記」について記したことがある。
コレ↓ とコレ↓↓

あるのかどうかわからないものに対して、ある、ないと決めてしまうと、知の体系が閉じてしまう。だから、真実なのかわからないことに対しては、決めつけない「無記」の状態で考え続けなければならないという。



かつて、ガリレオ・ガリレイは「地動説」を指示し、宗教裁判にかけられた。
今は誰も、天動説を信じる人はいない。

科学の実験というのは、1000の事象の中にある、ひとつの真実を探すものなのだと思っている。999の不確定要素が、"違う"とわかることにも意味があるのだ。
だって、違うとわかったら、もうその実験はやらなくていいわけだから。




「認めるだけの決定的な証拠が今はないが、否定できる証拠もない」
という状況の時に、否定論者とそうでない者の辿る道は決まっている。

否定論者は、どんなに頑張っても現状維持か、あるいは何も見つからない道しかない。
否定論者でない者にあるのは、どちらかわからないままの現状維持か、新しいものが見つかる可能性だ。

否定してしまった時点で、未来は閉ざされる。
部下を否定した人たちは、真実かもしれないその可能性をも否定したのだ。
それが、自分たちの未来を閉ざしてしまったことにもなるのではないか。

何が悲しいって、真実か真実でないかという議論ではないところで否定されていることなのだ。




この世の中は、どんな理論で動いているのだろう。
母なる地球の大いなる意志なのか、神々の慈悲あふれる意志なのか、
国益なのか、経済理論なのか・・・・・。

TVゲームというのは、そのゲームの世界の中で自由に動き回っているような気にさせるけど、実は人が設定した中でしか動いていないのだとか言っていたけど、今の現実のこの世界だって、もしかしたら人間がつくった社会・経済という枠組みの中でしか、動けていないのかもしれない。


人がつくった枠組み、社会や経済のシステムから飛び出してしまうとどうなるのだろう。
そこに、未来につながる何かが見つかるかもしれないのかなあ・・・・・。

「見えないものに一目置くセンス」は大切だ。






科学者だけではない、
政治家、音楽家、電力会社、国営放送局・・・・・
「んんん、だっっっからよ~!」






2014/03/14   「言葉」を知らないとどうなるか

「人は考える葦である」と言ったのは、フランスの哲学者で思想家のパスカル。

なぜ「葦」だったのか・・・・・。
強い風にすぐしなってしまうけど、風が止めば何ごともなかったように
元の姿に戻る姿を人間に例えたとか、
自然の中で矮小な生き物にすぎないことを例えたとか、
群生して生息している葦を例えたとか、
そういうことのようだが、
そんな「葦」にすぎないけれど、人は考えることができるのだ!
考えることで「宇宙を超える・・・・・」可能性があるのだ!!
ということ。




人は考えるときに、「言葉」を使って考える。
「言葉」は、考えるための道具だということができる。

「言葉」は、意思伝達にも必要な道具であり、知識を得るためにも必要だ。


「言葉」を知らなければ、読んだことや聞いたことを正しく理解できない。
言葉の意味するところを理解できないということは、
世の中を理解できないということ、
相手を理解できないということになる。



進歩、成長の第一歩は、新しい言葉を知ることといわれる。
今まで知らなかった言葉を知ると、頭の中はクリアーになり、
こんがらかっていた考えはスッキリする。
今までにない価値観を得ることによって、より複雑なことの理解が深まる。

新しい言葉を知るにはどうしたらいいか。
本を読む。
正しい言葉を使う人と話をする。
「本を読め!」と多くの人がいうには理由がある。



「読書の醍醐味は、漠然としつつも上手く言葉にできないことが、本の中で的確な表現で言語化されていく様子に触れる瞬間にある」といったのは、脳科学者の池谷裕二さん。

読書もそうだが、文章を書くことも似ている。
漠然と世に散らばっている知識を的確な表現で言語化して形を整え文章化することで、知恵としてまとめ上げることができた瞬間にびを感じる(要長文整理!)。
さらにそれを、他者に伝えることができるのだから、読書にもまして醍醐味があるといってもいいかもしれない。



正しく言葉を理解しているか、
正しく言葉を使えているか、
新しい言葉を知ろうとしているか、
それらの言葉を使って考えているか・・・・・

言葉を知らず、使い方もわからないなために、ヘンな日本語を使う日本人が増えている。

正しいか間違っているか自信がないから、あいまいな表現になる。
「~みたいな」とか、「○○な感じ」とか、「よかったと思います」とか・・・・・。

尊敬語とか謙譲語とかわからないから、とりあえずへりくだっておく。
「△△させていただきます」とか、誰にでも何にでも「様」を付けるとか・・・・・



すてきな言葉遣いのできる大人になりたい!







「社長~っ!
 本日締め切りの企画書は昨日、提出をさせていただいてございます。
 また一昨日、お会いをさせていただきましたクライアント様におきましては・・・・・」
「だっからよ~!」





参考:ウィキペディア『ブレーズ・パスカル』
『頭がよくなる思考術』白取春彦著
『カネを積まれても使いたくない日本語』内舘牧子著

2014/03/11   企画を考えるということ

社会人になってすぐ先輩に言われたことだったか、何かの本で読んだことだったか、企画の考え方のひとつの方法として知ったこと。それは、こんなやり方だった。

「まず勘違いをしてはいけないのは、世の中にないまったく新しいことやモノを生みだそうとしないこと。そんなものが生まれるのは本当に稀なことだから。ひとつの方法としてあるのは、意外な組み合わで、新しい価値を生みだすというやり方。今までにすでにあるものでも、普通そうは合わさないだろうという組合せをすることで、今までにないものができることがある」
―――モンスター同士を合成してキメラを生みだす方法と同じだ(パズドラのモンスター合成は同じ属性を組み合わせるとランクアップするようだけど、違った属性をあわせることで意外なものを生みだすというもの・・・・・でいいのか???)

組み合わせる元ネタは、たくさんあったほうがいいのは当然だ。
ものを生みだす人たち、クリエイターとよばれる人たちが、幅広い「知識」をもっているのはそういうこと。
―――さまざまな種類のモンスターをもっていたほうが、特別なキメラが生まれやすい(・・・・・もういいか)



知識は、興味の連続によって得られる。
もっと知りたいという興味が、さらに多くの知識をよぶ。
そして、知識同士が化学反応を起こして、知恵としてカタチとなる。
知識の深さや広さがあればあるほど、知恵の種類も豊富になる。

知識を増やせば増やすほど、世界はどんどん新しい意味をもって見えてくる。
知恵は増えれば増えるほど、世界に新しい価値観を提供することが可能になる。




人は、考えるためには、頭を働かさなければならない。
一般的に、頭を働かせるためには、体を動かし、知覚を刺激する必要がある。
デスクに座って考え続けることには限界がある。
よく言われる、散歩中にアイデアが閃くというのは、こういう理由からだ。
常に変化する環境に身をさらすことによって起きる刺激で、頭は活性化する。


毎日決まった日常から逸脱し、非日常的な行動を起こすことも大きな刺激となる。
自分で勝手に縛ってしまっている「習慣」から離れ、
時間や費用や行動などを制限する「効率」からも開放されると、
抑圧されていない本来の「創造性」が発揮されやすくなる。
「旅」はこの非日常の代表かもしれない。

非日常、脱日常のススメ!
発想を自由に遊ばせることや発想の転換は、教えてもらって身につくものではない。
さまざまな体験を自らすることで、ようやくそのやり方の端っこが見えてくる。

とはいうものの、周囲や組織とのバランスだけは気をつけたほうがいい!




最近おもしろい考えを知った。
「モノのカタチを変えるだけで、可能性が多いに広がる。不可能が可能になる」というもの。
例を挙げたほうがわかりやすい。
「一枚の紙を飛ばすことは不可能だが、紙飛行機のカタチにすれば、空を飛ばすことができる」
こんな感じ。

「モノ」を別の言葉にかえてもいい。



一枚の紙を、折ったり、切ったり、丸めたり、ちぎったり、継ぎ足したり、燃やしたり・・・・・。
それを自由に考え、試行錯誤し、実行する。
まったく、ワクワクしておもしろい作業だ。










「社長~っ!」
「なんだ!! その金髪、モヒカン、鼻ピアス・・・・・!!!???」
「自分のカタチを変えることで不可能が可能になるかと思って ^-^ 」
「だっからよ~! キミの場合、違う世界に行ったほうがいいかもな」
「え~っ、社長の教えを守ったつもりが・・・・・(゜Д゜) 」




参考:『頭がよくなる思考術』白取春彦著







2014/03/07   心配しないで

朝、出がけに母親から、「今日は雨が降るんじゃない? 傘を持っていかないと濡れるわよ!? バス乗れないかもね・・・・・」そんな声をかけられた経験がある。
親は子供のあれこれを「心配」して声をかける。


学生になり、「明日の試験大丈夫かなあ・・・・・」「彼女とうまくいくかなあ・・・・・」とか、
大人になり、「今進めているプロジェクト成功するかなあ・・・・・」とか、
自分が親になり、「子供の将来は大丈夫かなあ・・・・・」などなど、
心配事は尽きることがない。


しかし!
今自分は、あらゆることに「心配」をしたくないと思っている。
自分の将来も、会社の経営も、世の中のことも、すべての未来も・・・・・。
なぜかというと、「心配」の中身は悪いこと、不吉なことばかりだと気づいたからだ。

起こっていない悪いことを想像して、しかもそうなるだろうと決めつけているのが「心配」の正体ではないか!



なぜ心配をするかというと、それは相手のこと、あるいは自分のことを信用していないから。
信用していれば、失敗すること、悪い状況になることを前提にはしないはずだ。
「あなたのことを心配している」「自分の将来が心配」
それは、
「あなたは必ず失敗する」「自分は絶対ダメになる」と言っているのと変わりがない。


「不吉なことは口にするな」とよく言われるが、
そのまさに不吉なことを、相手や自分に投げかけているのが、「心配」なのだ。

さらに心配する人は、あとで必ず言う、
「ほろ、やっぱり心配した通りだ」
悪い結果や不吉な出来事を楽しんでいるかのようにしか聞こえない。



心配することが悪いことだと教えてもらったことがない。
親からは、普通に、そして当たり前に「心配」されてきた。
親だって、子供を心配するのは、親の義務や役目だと思っているところもある。

しかし、よく言うじゃないですか、
「まだ来ていない未来を必要以上に案じたり、過ぎ去ってしまった過去にとらわれすぎてはいけない」って。

だから、これからは「心配」することをやめようかと思う。
「あなたのことが心配だから」、そういう人にも、
「大丈夫、心配しないで」と言って、少しずつ後ずさりしていこうかと思う。

だって、不吉な言葉を浴びせられたくないじゃないですか!







「社長~っ!」
  ズリズリ・・・・・。
「後ずさりしながら、何しているんだ?」
「もう自分のことが心配で心配で。
 心配性の自分から少しでも離れようかと思って・・・・・、でもなかなか」
  ズリズリズリ・・・・・
「ずっとやっていれば!?」


「え~っ、社長! 今回「だっからよ~!」はなしですか?」





参考:『頭がよくなる思考術』白取春彦著




2014/03/06   「やりがいのある仕事」って!?

「仕事」関連の取材をよくしていた時期があった。
職人さんからベンチャー企業のトップ、転職者にいたるまで、さまざまな人に話を聞いた。

ある企業に転職して、事務職に就いたOLさんを取材したときのこと。
正社員として採用していただき、事務の仕事にも慣れてきて、日々充実していると、企画主旨に沿った話しをひと通り聞き終わった後、そのOLさんが言った。
「もう取材はよろしいですか」
「はい、ありがとうございます。大丈夫です」
「・・・・・あのっ、ひとつ相談があるのですけど」

取材に行って、取材者から相談されることって、実はたまにある。
取材テーマから外れていって、一方的に話しを聞くということはしょっちゅうだった。

要領よく話しをまとめてくれたこともあり、お願いしていた取材時間にはまだ余裕があった。
「ボクでよければ」
「実は、この会社辞めようかと思っているんです」
・・・・・えっ!?
確か今まで仕事が充実してって、にこやかに応えてくれていたよね・・・・・。
一瞬、アタマは混乱した。
まだ、上司にも同じ部署で仲良くなった友だちにも言っていないという。
そりゃそうだ。
もし会社が知っていたら、取材対象者に彼女を選んではいなかっただろう。
そこからは、オフレコで話を聞いた。
それまで、満面の笑みを浮かべて話しをしていた彼女の目には、みるみる涙があふれてきた。
詳しいことは、これ以上触れないが、思いとどまったほうがいいとは言えなかった。




そのころ、「やりたい仕事」を見つけようとか、「自分にピッタリの仕事」はとか、そういった表現を随分使っていた。
今になって、へんに煽ってしまったのではないかと、反省の気持ちが沸々・・・・・。

そもそも、「やりがいのある仕事」というのは、そういった仕事が元々そこにあるのではない
その仕事に対する、自分の取り組みや姿勢が、「やりがいのある仕事」を生みだしていくものなのだ。
今やっと言葉にできて、自分の中で腑に落ちる。



もうすぐ4月。
新しい環境で、仕事をはじめる人がたくさんいる。

仕事をはじめたばかりのころは、予想も想像もつかないようなことがたくさんあると思う。
最初から、やりがいを見いだせる人って、まずいない。
もし最初から、充実していると感じているとしたら、それは「仕事」にではなく、入社した「会社」に対しての満足感であったり優越感でしかない、きっと。

本当に仕事に関わっていくのは、もう少し先のこと。
焦らずに取り組んだほうがいい。
やがて目の前にある仕事に、真剣に打ち込もうと思えてくるときが来る。
やればやるほど面白くなり、かつ難しく感じ、それでもやり遂げたくなり、寝食を忘れて考えるようになったときにはじめて、ちょっとはやりがいを感じられるようになるはずだ。
逆もあるかもしれないけどね。

ひとつだけ、覚えておいた方がいいことがある。
「雑用」って言葉があるけど、
「雑用が多くて、やる時間がない・・・・・」なんて絶対に言わないこと。
雑用って、不要な仕事という意味ではない。
組織やプロジェクトや、やり遂げなければならない仕事の中で、誰かがやらなければいけない大切なピースのひとつ。
こまごまとした仕事がないと、大きな仕事は完成しないものなのだ。

「雑用」というのは、ていねいにやっていると、いつの間にか手際よくできるようになる。
テキパキとこなせるようになったとき、脳はとても活性化しているという。
あなどれないぞ、「雑用」。




仕事をすること、働くことって、とても楽しいことだ。
仕事が、与えられるものではなく、自ら関わることで成り立つものだとわかってくると、その楽しさもだんだん感じられてくる。
仕事に自分の生気や思いを注ぎ込むことができてはじめて、それが「やりがいのある仕事」になっていく。


それは、自分の外にはない。
自分の中を探してみるといい。

うまく見つかれば、もう仕事が面白くておもしろくてたまらなくなるはずだ。








「社長~っ!」
「どうした、ジャケットの内ポケットを探したりして。まさか、やりがいが見つかりませんなんて言うんじゃないだろうな」
「うっ・・・・・、先に突っ込まれた」
「だっからよ~! まずは目の前の課題に真剣に取り組んでみなさいって!!」




参考:『頭がよくなる思考術』白取春彦著



2014/03/04   2月の読書記録

ブログ更新。 読書記録だけど......。 ちょいと仕事がらみの本が多かったが、久しぶりに山際淳司氏の文章を満喫。 『山際淳司――スポーツ・ノンフィクション』は、約800ページの傑作集。 スポーが、改めて読み直して、自分は本当にこの人の文章が好きだと再認識。 2014年2月の読書メーター
読んだ本の数:13冊
読んだページ数:3336ページ
ナイス数:57ナイス

頭がよくなる思考術頭がよくなる思考術感想
哲学者の言葉は難解なものが多いというイメージだったが、なんとわかりやすい内容か。著者は、『超訳 ニーチェの言葉』を書いた人だった! しかも、初版2005年!! まったく古さを感じなかった。哲学とはそういうものかと妙に感心した。これは"使える"。付箋張ろうかと思ってやめた。ほとんどのページにつきそうだったから
読了日:2月27日 著者:白取春彦
カラダ・プロファイリングカラダ・プロファイリング感想
すすめられて読んだ。身体の特徴やクセは、その人の内蔵とリンクしている、というのは先駆者たちがいろいろと分析してきたこと。イマ風の事例などから分析しているのでわかりやすいといえば、わかりやすい。で、それからどうするんだっけ? とフッと思ったのは、自らすすんで読んだのではなかったからなのかもしれない。しばらくしてから、パラパラするかも
読了日:2月26日 著者:おのころ心平
そして、メディアは日本を戦争に導いたそして、メディアは日本を戦争に導いた感想
本当に歴史を知らないのだ、戦後生まれの多くの人々は。学校の授業でも、幕末~昭和~戦争~戦後なんて学んだ記憶がない。でも、歴史から学ぶには、このあたりがとても重要なのだ。しかも、その時代におけるメディアの立ち位置! メディアに携わる者は、もっと学ばなければならないと痛感するだろう。勉強しなさすぎ! 自分も含めてだけど
読了日:2月23日 著者:半藤一利,保阪正康
カネを積まれても使いたくない日本語 (朝日新書)カネを積まれても使いたくない日本語 (朝日新書)感想
その通り! という事例がてんこ盛り!! 街中にあふれる奇妙の言い回しに「気持ち悪っ」と思いつつ、いつの間にか慣れてしまっている言葉もあったり......。日本人の、「過剰なまでのへりくだり」「あいまいにぼかす」「相手を異様に持ち上げる」意識から生まれてきた言葉といわれれば、なるほどとも思う。しかし、誰が聞いても美しい言葉を話したい。というか、美しいと意識させない"普通"の日本語を話せるようになりたい
読了日:2月20日 著者:内館牧子
現代の陰陽師 安倍成道現代の陰陽師 安倍成道感想
安倍晴明の末裔という著者。歴史物ではない陰陽師の本。もともとは影の存在である陰陽師が、現代では表に出てこざるおえないということなのか。人を救うことももちろん大切だが、日本自体を救ってほしいゾ!
読了日:2月18日 著者:安倍成道
山際淳司―スポーツ・ノンフィクション傑作集成山際淳司―スポーツ・ノンフィクション傑作集成感想
スポーツにドラマを求めるのはどうか――という論議があったのも、スポーツ・ノンフィクションという読み物があったからかもしれない。アメリカでは古くから(早くから?)この手のジャンルがあって、書き手も読み手も数多くいたようだが、日本の先駆けとなったのは、自分の中では間違いなく山際淳司氏だ。選手に、スポーツに寄り添うような文章がたまらなく好き。文章には人柄が出るものなのだ
読了日:2月15日 著者:山際淳司
魂を浄化するたった1つの方法魂を浄化するたった1つの方法感想
著者は、ヒマラヤで修行をして瞑想の最高境地サマディに達した世界で初、唯一のヨガの聖者。あるがままの自分を受け入れる絶対的なひと言、「これでいいのだ」......。バカボンのパパは、というか赤塚不二夫さんは、ある種、悟りの境地に達していたんだろうなあ......。内容は、まじめで本質を突いているすごく役に立つ内容なのだ!
読了日:2月14日 著者:相川圭子
くちびるに歌をくちびるに歌を感想
青春小説ってあまり読まないんだけど、一気読みしてしまった。語る人が変わる構成なので、最初はこれは誰? と思うのだけれど、なるほどそう繋がるのかとあとあと納得。若いうちって悩むし、ぼっちになる時もあるし、爆発する時もあって、それでいいんじゃないと思うのだ
読了日:2月10日 著者:中田永一
今日という日は一度だけ今日という日は一度だけ感想
著者の本を連続読み。こういったコメント集は判断が難しい
読了日:2月6日 著者:松原照子
幸せを導く未来の暦幸せを導く未来の暦感想
「世見者」の著者の本を連続読み。未来を予言すること、書き残すことってすごく勇気のいることだと思う。後半の、宇宙の話、歴史の話もおもしろい
読了日:2月5日 著者:松原照子
ダメなときほど運はたまる ~だれでも「運のいい人」になれる50のヒント~ (廣済堂新書)ダメなときほど運はたまる ~だれでも「運のいい人」になれる50のヒント~ (廣済堂新書)感想
成功する人にはこういうこだわりがあるもんだ。「運」を偶然に降りそそいでくるものとは思っておらず、貯めるコツを熟知している。それを実行するのが難しいんだけどね、凡人には。でも、生き方がやさしくなるかも
読了日:2月5日 著者:萩本欽一
幸福への近道幸福への近道感想
「不思議な世界」の方々からのメッセージが"当たる"と話題の著者。内容はとても"まとも"で生きる糧となるメッセージがたくさん。それを読み取れるか、自分のものにできるかということ
読了日:2月4日 著者:松原照子
神さまがやどる お掃除の本神さまがやどる お掃除の本感想
ちょっとタイトルが気になって・・・。トイレの神様ってそういえばお名前存じ上げていないなあと。波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ)と波邇夜須毘売神(はにやすびめのかみ)のきょうだい神なのだそう。行動は気持ちに左右されるから、こういう切り口はありだよなあと
読了日:2月4日 著者:きさいち登志子

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