2013/09/28   昨日の夜の事務所での会話

19時を過ぎたあたりだったろうか、スタッフのモモが、先輩スタッフにいきなり質問をした。
「宇宙ってどうなっていると思います?」

前日、仕事帰りに近所の「いせや」(http://www.iseya-kichijoji.jp/で焼き鳥を食べながら、宇宙ってどうなっているのかとか、UFOを見たことあるかとか、エネルギーがどうのこうのとか、話をしていた(そんな話題ばかりだったので、周りの人たちはヘンな人たちと思ったかもしれない)。
その延長で、いせやにいなかった先輩への質問だったようだ。

モモの宇宙観は、太陽や地球が収まっている四角い水槽があって、それを上から見ている存在があり、さらにその下に公務員的な働きをする人がいて、その存在がモモの人生などを決めているのだという。

オレは、宇宙は爆発的にまだ広がっているから果てはないと思うというと、モモは宇宙の果てまで行こうと思って手を伸ばしたら、コツンとぶつかったようだ。だから、四角い水槽なんだという。
そうか、ルフィのようにグングンと腕が伸びるんだ。うらやましい。

それから、時間の話になった。
時間は、今から未来に向かって流れるものなのか?

反対に、未来から現在へ、そして過去に向かって進んでいるのではないかという意見。
今といっしょに未来も過去も同等に存在しているのかもしれないという意見。
結論なんて出るもんじゃないが、そんな会話をしていた。シラフで。
そして、モモがひと言。
「こんな話ができるカレシがいいな」
モモは現在フリーのよう。
モモとこんな話をしてみたい人、連絡ください!




最近、「刹那(せつな)」が時間を表す言葉であることを知った。
仏教において、時間の概念の中の最小単位が刹那である。

120刹那=1怛刹那(たせつな)
60怛刹那=1臘縛(ろうばく)
30臘縛=1牟呼栗多(むこりった)
30牟呼栗多=1昼夜
つまり、24時間=30牟呼栗多=900(30×30)臘縛=54,000(900×60)怛刹那=6,480,000(54,000×120)刹那 ということになり、1刹那=1/75秒 となる。

この1刹那の中に、「生」と「滅」があるというのが仏教の教えだ。
わずか1/75秒の間に、発生と消滅が繰り返されているという。

   1/75秒って、0.0133秒だ。
   水泳でタッチの差で、とよくいうが、
   100m平泳ぎの北島康介の自己ベストが58秒90で計算すると、
   1刹那で約17mm。指の関節一本分くらいか。
――横道にそれた。


1刹那に生滅が起こり、その一瞬の生滅の存在が因となり、次の一瞬の生滅を生じさせる。
次に生まれたものは、前の存在とまったく同じあることはない。
1刹那に行われる生滅は「刹那無常」という。刹那無常が繰り返され、やがて、人が死んだり、植物が枯れたりする生滅は「相続無常」だ。

人は1刹那ごとに変化している。
一瞬前の自分は今の自分と異なっているし、一瞬先の自分は今の自分とは異なっている。
精神も変化している。常に同じ状態であり続けることはない。
肉体は、7年もすれば細胞すべてが入れ替わる。

すべての現象は、常に生滅変化を続け、瞬時といえどもとどまるところはないのだ。
そう、諸行無常。

はずかしい話をひとつ。
以前、「無常」を「無情」と混同していて、「諸行無常」を「諸行無情」だと思い込んでいた。
世の中のあらゆることは、情けのないことばかり・・・・・。
世間を斜めから見ていたころのこと。うう、穴があったら入りたい。


永久不滅のものはない。
同じところにとどまり続けるものはなく、万物はすべて変化を続ける。

変化を続けることをまったく厭わない。むしろ、どんどん変化をし続けたいほど。
やっと「諸行無常」の意味が少しは分かってきた(遅い? いいのいいの!)







「社長~!ボクにとって「刹那」はとても大切なものなんです!!」
「ほ~っ。キミも「刹那」の意味を知っていたのか?」
「はい。 ♪ きっと僕らは輝きたくて、生きる意味を探してた~♪」
「・・・・・」
「悲しいときは枯れるまで泣き うれしいときは腹かかえて笑い♪」
「だっからよ~!  それは、Greeeenの「刹那」でしょ!」


参考:『仏教から生まれた意外な日本語』千葉公慈著


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