2013/08/12   言葉をおろそかにすると......

言葉をおろそかにして育った人は、特に"他者視点"が弱いという。

「子供のころから社会の中で人と会話をすることが少なく、言語活動の訓練ができていないと、脳は充分に成熟できない。すると、他者との関係性をよく理解できずに、自分の立場ばかりを主張し、自己中心的な方向に行きがちになってしまう」
だから、「他者視点でものが見られない人が多くなると、争いごとが増える」のだそうだ。


人類は言葉をもったことにより進化してきた。
言葉で考え、言葉で伝え、言葉でコミュニケーションをとり......脳は発達した。
そして、言葉を得たことにより"他者視点"でものごとを見る能力を身につけ、「有限」「無限」を知ることになった。
動物たち、例えばサルやゾウ、ライオンは、自分の命の有限さを理解していない。
宇宙の無限さを想像することもしていない。
たぶんだけど。
人は、命の有限さを知ったことで、宗教や哲学、医学や科学を生みだし進化させた。
さらに、地球資源の有限さを知ったことで、......奪い合いが起きた。
"他者視点"をもったことで、争いごとは増えてしまった。




人は言葉を得ることで、脳を大きくしてきた。
しかしこのところ、脳は肥大化してしまい、脳の「理」の部分は暴走を続けているといわれている。
遺伝子は、長い時間をかけて人を環境に適応させたのに、脳はその環境を壊しはじめているのだ。

「理」の暴走は、一向に止まる気配を見せない。
それは、社会制度を作る立場の人が人間特性を理解せずに、人の本質に反するイデオロギーや社会をかえって悪くする理屈を作り上げているのにも一因があるともいわれる。
暴走がこのまま続くと、脳の動物的な本能の調整機能が弱くなってしまい、脳自らが長い時間をかけて自死してしまう懸念もあるという。それは脳が、自ら死を選んでしまうことが一番楽だと判断しかねないとも限らないからだ。

暴走を抑制するには、「情」の部分の働きを高めることが必要とされるが、情動や感情、動物的な本能といった「情」の部分だけに配慮すれば何とかなるという単純なものではなくなってしまっている。



では、何をもってすれば脳の暴走はおさまり、人は争いごとをやめるのか。

"他者視点"が人間だけの特別なものであるならば、その定義をアップグレードすることがひとつの答えになるかもしれない。
自己→自己+他者→社会→地球
"他者"の定義が大きくなればなるだけ、おのずと"他者視点"も変わってくる。
地球規模の"他者視点"がもてたとすれば、そこには新たな可能性が生まれる。
脳はもともと自己を守るために機能する。
だから、脳の自己の定義を広げ、さらに"他者視点"を思い切り広げることができれば、きっと脳は自ら最良の方法を導き出すはずだ。
そのときがくれば、今まで人がもっていた"他者視点"も意味が変わり、大きな意味での"未来視点"になると信じる。



"他者視点"の定義を変えるには、「言葉」の役割が非常に重要になってくる。
言葉自体がアップグレードするのか、言葉にまつわる環境や状況が変わるのか、言葉に何かプラスαの力が備わるのか、あるいはそういったことが複数同時に起きるのか......。
さまざまな可能性が考えられるが、「言葉を大切にすることが、未来を開くきっかけになる」のは間違いがない。
言葉に関わる仕事に携わる身としては、言葉の潜在的な可能性をもっと引き出し、大きく育て上げなければならないと思う。

言葉一つひとつ、魂を込め、ていねいに、発し、書き、伝えていこう







「社長~! これから特に気をつけて「言葉」を大切にしていきたいと思います」
「そうだな。昔から、言霊といわれるように、言葉には魂が込められているといわれているからな」
「よーし! 超やる気なってきた!! マジがんばるっス!!!」
「......だっからよ~!」





参考:『和解する脳』池谷裕二×鈴木仁志 共著