2013/07/24   奇跡のリンゴの「自然栽培」から考えたこと

前回に続き、奇跡のリンゴの木村秋則さんの関連本を何冊か読んで気づいたことがある。
農業は、ある時期に工業化されていたということだ。

以前、「神の時代から、科学の時代へ、そして・・・・・」
で、産業革命によっておきた科学・テクノロジーは、巨大化・複雑化し、人知を越えてコントロールできない存在になってしまったと書いた。
実は、農業に関しても同様のことが起きていたのだ。

「緑の革命」は、1950年代を中心に起きたもので、穀物の大量増産を達成した。
それを実現したのは、次の技術からだった。
・化学肥料の発明・製造
・品種の改良
・農薬の開発
・農地の整備
人が自然をコントロールしようとしたのは、科学技術と同様だった。


「緑の革命」が進む一方で、1962年アメリカの自然科学者レイチェル・カーソンが『沈黙の春』を出版。DDTなど、毒性と残留性の強い農薬による危険性を訴えた。
生物が毒素の強い化学物質を取り込み、その生物は上位の生物に食べられ、食べた生物は体内の化学物質が濃縮され、さらにそれを食べた、生態系の上位にいる鳥は最後に死に至る。
いつか鳥の鳴かない春を迎える......というものだった。


もちろん、生態系の最上位にいるのは、人間である。




前にも書いたが、奇跡のリンゴの木村秋則さんの農法は「自然栽培」といわれる。
「自然栽培」というのは、生物の力を利用するものである。
生物の力というのは、
○土壌にいる微生物(肥料の代わりに地力を高める)
○生物間の相互作用ネットワーク(殺虫剤の代わりに害虫を防除する)
○植物免疫(殺菌剤の代わりに病気をおさえる)
である。
それぞれの力を発揮させることができたから、無農薬・無肥料で奇跡のリンゴを栽培することができたのである。


どうやって、それぞれの力を存分に発揮させることができたのだ?




生物学に「ガウゼの法則」というのがある。
ロシアの生態学者ゲオルギー・ガウゼが行ったゾウリムシの実験で、
2種のゾウリムシを飼育槽で混合して飼うと、充分なエサがあっても、競争に強いゾウリムシが弱いほうを絶滅させてしまうというもの。
「競争排除」といわれるのだが、
例えば、飼育槽の中に石を置くなどして環境を複雑にすると、競争排除は起こらず、2種のゾウリムシは共存するようになるという。
実際の自然環境というのは、均一な状態というのはあり得ず、複雑なものである。
生物は、その複雑な環境ごとに、それぞれの環境に特化するように進化し、棲み分けている。
それが現実である。


競争は、勝者と敗者をつくる。
それは、格差社会をつくることである。
しかし、人間社会においては活性化する力となる、ともいえる。
競争は、勝者が敗者を排除するものではなく、多様な環境の中にそれぞれの居場所をつくり出すためのプロセスのひとつだと考えられるからだ。

人の社会には、多様な価値観があり、さまざまな職業がある。
その社会においての競争は、格差をつくるためのプロセスではなく、個人のアイデンティティを確立するためのプロセスであるのだ。
本来は。



今、世の中、さらなる技術革新により、
社会を多様性の高い環境から、均一な環境に変化させつつある。
高度な機械技術は、それまで職人技であったものを、誰でもできる単純労働にかえた。
インターネットは、価値観を共有することで、グローバル化という世界レベルの知の均一を促進している。


環境が均一化され、そこに競争が組み合わさると、どうなるか。
「競争排除」が起き、敗者は絶滅する......。




人は常に自らが勝者になると信じているのだろうか。
運動会では競争させないから大丈夫とでもいうのだろうか。




「自然栽培」の中には、大いなるヒントがある。
「生物間相互ネットワーク」であり、「免疫」であり、「微生物」である。
これらのキーワードには、さまざまなことを考えさせられる。


例えば、
生物間ネットワークは、生物の多様性の低いところではできないという。

「多様性」は英語でいうと、
Diversity(ダイバーシティ)=表面的にバラバラだが、有機的に繋がりがある状態
Variety(バラエティ)=バラバラでランダムな、有機的な繋がりのない拡散的状態

ダイバーシティな環境は、どこにある? どうやれば作れる?









「しゃ、社長~! 奇跡のリンゴが食べたいなんて言っている場合じゃないじゃないですか?」
「いや、奇跡のリンゴは確かにうまいゾ!」
「あの~、そういうことじゃなくて......。何かを修正しなければいけないのじゃないでしょうか?」
「だっからよ~! いつやる?」
「今でしょ! って......。社長~!!」





参考:『すごい畑のすごい土』杉山修一 著
『和解する脳』池谷裕二×鈴木仁志 共著

2013/07/17   「奇跡のリンゴ」から考える

奇跡のリンゴの木村さんが、また注目を集めている。
ちょうど、映画が公開され、あわせて関連本も数多く出版されているからか。

たくさんのエピソードがある中から、気になったことをひとつ。


人は、木につく虫を退治するために、そして生えてくる雑草を駆除するために農薬を使う。
さらに、木を育て、栄養を補うために肥料を与える。
当たり前のこととして。

木村さんの奥さんは、ひどい農薬アレルギーだった。
そんなこともあり、農薬を使わず、化学肥料も使わない「自然栽培」を目指した。
何年にも渡る苦労の数々は、書籍や映画を見ればわかる。

自死をも考えたときに気がついたのが、土がポイントだということだった。

木村さんの畑では、虫や病気が広がらない。
それは、土の中の多くの細菌や菌類などの微生物のおかげで、大繁殖できないのではないかと木村さんは考えている。
虫は、人が土に与えた、自然ではないものを駆除しようと集まってくるのだとも思っている。

・・・・・あれ? どこかで聞いたことあるハナシ。

1984年、劇場公開された『風の谷のナウシカ』。
『アニメージュ』では、1982年から連載されていた。
30年も前のことだ・・・・・。

『風の谷のナウシカ』に登場する"腐海"は、汚れきった大気と土地を浄化するために存在し、菌と蟲を生みだした。
腐海の下は、空気も土も浄化されキレイだった。



そもそも、木や植物につく虫を、"害虫"といったのは、人だ。
木村さんは、リンゴの木につく虫を、何匹も何匹も手で取りながら、その顔を見たら
"可愛い顔をしていた"という。
人が"害虫"といっているものは草食系で、"益虫"とよんでいるものは肉食系だ。
"益虫"は、凶暴な顔をしていた。

生態系とは生命全体の働きのことで、全体が繋がりひとつの命を形成している。
ごく一部を切り取って、正義の味方か、悪の手先か、決められるのか?

虫が大発生するには理由があると、虫に教えられたと木村さんはいう。
元気な木に虫がつき病気になり、木が弱ったのか、
木が弱ったことによって、虫がつき病気になったのか・・・・・。
大切なのは、大発生した原因を突き止めることだ。


似たような例はたくさんある。
腸内にいる、善玉菌は"善"で、悪玉菌は"悪"であるという構図。
悪玉菌が生まれる理由に大切なポイントがあるかもしれないのに、
人は、悪玉菌を排除し、善玉菌を増やすことにばかり目が行ってしまう。


木村さんの農法は、「自然農法」ではなく、「自然栽培」だ。
自然に任せてまったく何もしないというのではなく、できる限りのことを積極的に行う。
畑に木を植えたのは人間だから、生態系のもっているバランス能力を生かすために、人が手を加え、仲立ちになるという考えだ。
手をかけた木村さんのりんごの木たちには、自分の力で病気を治してしまう、ある種の免疫力があるという。



農業や畜産の文化から、工業文化への近代化において、人は自然を支配しはじめた。
人間中心主義である。
ニーチェは「神は死んだ」といい、超人を生みだした。
"人間が絶対意志によって自然を支配する"凶暴な時代になった。
別の哲学者は、凶暴な意志が支配する世界は、乏しき世界であるといい、
やがて、長い間忘れられていた「存在」への回帰が起こるといった。

はたして、間に合うのだろうか。


世界では、木村さんのような人が出てきている。
木村さんが起こした"奇跡"は、本来のあるべき姿なのではないか。
人が自然に関与する仕方は間違っていないのか。
身の回りにおきているさまざまな出来事が、時代の変わり目を告げているような気がする。
以前に書いたことが、ドロリと残る澱のように解消されないままだ・・・・・。




「社長~! なんだか、木村さんの・・・・・リンゴが食べたくなってきました!!」
「えっえ~! そっちか?」
「いや、冗談です。 何か変わらなければいけませんね!」
「だっからよ~! きっかけのひとつとして事務所を移転しようかと思う(キッパリ!)」
「突然、告知ですか~?」
「そう! 8月上旬に事務所移転します! 詳細はまた後日!!」






参考:『土の学校』木村秋則・石川拓治著
『木村さんのリンゴ』小原田泰久著
『すべては宇宙の采配』木村秋則著
『人類哲学序論』梅原 猛著