2012/10/31   脳は脳を超えるものを生み出せるのか?

宗教家だったか、思想家だったか、
「脳は、脳以上のものを判断できないから、自らそんなものを生み出すことはない」という話を聞いたことがある。

脳は、脳以上のものに出会ったとしても、それを判断できないから、
見えない、聞こえない、触れない、理解できない・・・・・
ただなんとなく、そこにありそうな気がするんだけど、何だかわからない。
そんな状態。
例えば、身近に人が神様と呼んでいる存在が、本当はいるのだけれど、人の脳はそのとんでもない量のデータを処理できないために、いるんだかいないんだかわからないけど、いそうな気がするから、こんな存在だとしておこう、というのに似ているのかもしれない。

人にとって(人の脳にとって)、脳が判断できるもの以上のものを理解する必要があるのかというと、今生きていくために必要なものでないなら、とりあえず分からなくても、まあいいか、ということになる。
とりあえず分からないものを理解するよりも、生きていくために何をするかの方が重要なわけだ。
だから脳は、脳の処理能力を超えるものがたとえ近くにあったとしても、積極的に理解しようとはしない。そりゃ、仕方ないこと。当然といえば当然だ。


では、脳が生みだしたもの=コンピュータは、脳を超えることができないのか!?


科学者の中には、コンピュータの人工知能は、まだまだ人間の知性を超えられないという意見が多い(ようだ)。
それは、人間の"知性"による情報処理には、生きるという目的があるからだという。
たしかに、人の脳の活動は、生きるため、DNAを残すために行われている。
生命維持という目的がないコンピュータには、人間と同様の知性をもつことは難しいと・・・・・。

あれ? ちょっと待って。
ということは、コンピュータは、生命維持以外の部分では、脳を超えることができるってことじゃないのか?


技術は進歩している。
人間の脳の容量を超えるコンピュータチップができるのは、7~8年後だといわれている。
そうなると、今は人間がコンピュータのプログラミングをしているが、プログラミング自体をコンピュータがやるようになってくる。
ソフトバンクの孫正義さんは、そんな時代がくることを前提に、そうなった時に必要なインフラとは何かを考えてビジネスを展開しているという。

コンピュータが、脳の能力のある部分を超えるのは、ある意味時間の問題だといえよう。
処理速度、処理能力が人間を超えてしまうと、もしかしたら人間が判断するよりも早く、コンピュータはその情報を読み取り、他者に伝えたり、公開してしまったりするようになるかもしれない。
考えるよりも早く、相手に伝わってしまう・・・・・。
何だろう、そんな世界って。


昔書かれたSFの世界が現実になり、あっという間に過去になったりする。
脳以上のものは、脳は作り出さないという考えも、すんなりとブレイクポイントを超えてしまうかもしれない。
だって、生きていくために、脳自体が進化する必要が出てくれば、脳は自らの壁を破ろうとするかもしれないじゃないか。

進化した脳。
それは、そんなタイミングで生まれるのだ、きっと。











2012/10/09   「シンクロニシティ」について

以前、「シンクロニシティ」について、チラッと書いたことがあったが、
最近、「シンクロニシティ」について、ビビッときた文章があったので記しておく。


 「シンクロニシティ」とは、外のものと外のものがシンクロするのではなく、自分の無意識と外のものが呼応する」というもの。

例えば、一日動き回ってたくさんのものを見聞きして、その中の無意識がすごく気になったことに呼応するのが、シンクロニシティだという。
河合隼雄氏と茂木健一郎氏の『こころと脳の対話』にあった。


シンクロニシティは、同一性とか同時性と訳される。
そこには、因果的に何かと何かが同時に起こり、それが後ろで繋がっていると、多分に捉えられている。
しかし、因果関係がわかったら、こちらの意図で操作することができてしまうではないかと河合氏はいう。(お~、これは深い・・・・・。因果とは、はまた別の機会に!)
河合氏は、自身の心理療法の中では、人に対してオペレート(働きかけ)したり、マニュピレート(操作)したりすることを放棄して行っている。それが、氏の心理療法の根本だという。

何が大事になるのか(こちらの心構えとして)。
非因果性だ。

シンクロニシティには因果関係があると決めてしまうと、非因果関連を見なくなってしまう。
それでは、シンクロニシティに出てくる、自分の無意識の大事な部分を見逃すことになってしまう。
世界の裏側で繋がっているのではなく、
"そのこと"を通じて、自分の無意識が何かを察知したがっていると考えるとどうだろうか・・・・・。

「無意識こそが、生物としての自分の真の姿である」という人もいる。



内山がよくいっている、外応というのも、これに近いのかもしれないなあ。