2011/11/27   「100匹目の猿」と「シンクロニシティ」

ゼロハチマルを立ち上げる前、プラスキューという会社にいた。
その社長は、自分の人生の中での大恩人で、編集という仕事に就くことができたのも、その社長が拾ってくれたからこそなのだ。
感謝してもし尽くせない・・・・・。

その、プラスキューにいたころの話。
あるとき、すごく面白い企画を考えついた。
もうウキウキ気分で、社長に話しに行ったら、
「お前が考えついた時点で、世界中で100人ぐらいの人が同じようなこと考えているんじゃない」と言われた。
このあと何度も、同じようなことを言われるのだが、最初は正直ちょっとムカッときていた。

「でもさ、それを形にできるのが何人いるかってことじゃない」とか
「自分なりのアレンジを加えれば、世界で唯一の企画になるんじゃないか」
などなど、いろいろなことを考えた。
そういった考え、ある意味正しく、ある意味正しくなかった。

今は、"世界で唯一の企画"なんてものに、どれだけの意味があるのかが何となくわかるし、"面白い企画"の意味も随分と変わってきた(自分が面白がっているのか、人が面白がってくれるのかとか。その企画自体にどんな意味が込められているのか・・・・・などなどね)


ただ、その当時のことを思い返してみても、同時にいろいろなところで、同じような企画を考えつくということって、本当にあると思っていた。


「100匹目の猿」という話がある。
日本の島に生息している猿が、あるときイモを海水で洗って食べた。
それを真似をする猿が次々と現れ、ある一定数を超えたとき、その島から遠く離れた別の島でも、同様の行動を起こす猿が現れたというもの。
お~なるほど、あり得そうと思わせる話だが、
実際には、裏付けのない作り話だったことがわかっている。

「シンクロニシティ」もそう。
共時性や、意味ある偶然の一致と訳されているが、
心理学者ユングによって提唱されたもので、事象・出来事というのは必然的に起こるだけでなく、同時発生的に偶然によっておこることがある、という考え。
実は、シンクロニシティの例え話もあるのだが、後年、それも作り話だったという"オチ"があるらしい。

ただ、「100匹目の猿」と違って、どこか「シンクロニシティ」はありそうだなと思わせるのは、それが"人間の話"だからなんじゃないかと思う。

なんてことを考えていたとき、「共通性とか偶然の一致というのは、人間がかってに思い込んでいるだけである」という話しを聞いた。
人は、共通のところだけを覚えていて、それだけをピックアップするから「共通性」とか「偶然の一致」が強調されるというのだ。
たしかに、「血液型B型! しかも獅子座!! えっ七赤金星!!! すごい偶然いっしょだ」と言われても、いやいや3つしか合ってないし・・・・・といってしまえばそれまでだ。
当然、違うところのほうが多いのに決まっている。

「共通性」は、人だけに限らない。
激動の今の時代は、江戸末期から明治維新に向かうころと多くの共通性がある―――といわれても、確かにあるかもしれないけど、違うところだってたくさんある。


じゃあなぜ、「シンクロニシティ」のようなことを心理学者が提唱し、日常の中で自分でも「ありそう」と感じさせるのか。
それはきっと、人自身がそれを望んでいるからなのだと思う。

偶然でもいいから共通性をもっていたい


人が人である所以なのかな・・・・・





でも、直感というかシックス・センスというか何かが、「ないかもしれないけど、あるかもしれないよ」とささやいている。
「無記」―――今決めてしまう必要はない。
わかるときには、必然的にわかるから・・・・・


「社長! 前回、<つづく>で終わったかと思うのですが、内容が続いていないような・・・・・」
「だっからよ~!」




2011/11/22   スピは進化系?

前回、「言葉は、自分の体をコントロールするとても有効な方法で、 それは大脳皮質を使って体をだます技術だ」と書いた。
なぜここで突然、脳の話が出てきたかというと、言葉を司っているのが大脳皮質であるというのが重要だからだ。 


 また太極拳の話になって恐縮だが、その日太極拳を始める前に必ず「気功」を行う。 
気功の中でもまず、立禅から始める。
 座禅は座って行う禅。 
立禅は立って行う。 
もちろん、修行僧でもなければ禅僧でもないので、 真似事かもしれないが、それでも集中し、爽快にもなる。

 この立禅。 スタートしてすぐには、いろいろなことを考えてしまう。
 「今日の昼メシ何にしようか」とか「やり残した仕事、何から手を付けようか」とか。
 次から次へと頭に浮かんできてしまう。多分言葉になって。

 この言葉がくせ者なのだ。

 座禅や瞑想を一番邪魔するもの。 それが言葉。
 そして、この言葉を発しているのが脳。大脳皮質、大脳辺縁系だ。

 人類は言葉によって進化した。
ところが、この進化を促した脳の部分が邪魔をして、「気」がうまく流れなくなってしまうのだ。
 では、その働きを止めることができたとしたら・・・・・。 

できるのだ!
 その方法、ひとつは呼吸法。 

立禅をしながら意識して行うのが、腹式呼吸。
 吸気よりも、はく息を細く長く行う。
 意識を呼吸に集中することで、やがて頭の中から言葉は消えてゆく。

 別の方法としては、リズミカルな運動を続けることも効果的だという。
ようするに、言葉が浮かばないほど連続した運動。
エアロビとか、ジョギングとか、早めのウォーキングもそうらしい。

 では、ここで大脳皮質の働きを抑えたとき、今度はどこが活動を始めるのか?
 それは、脳幹だという。

 原始的な脳、生命の根源といわれる脳幹。
 人は言葉を得て進化してきたのに、「気」をめぐらすとか、瞑想するときには、新しい脳の動きを抑制し、古い脳を活性化させなければならない。

 別に、禅とか瞑想とかは退化を促進するものではないだろうから、きっと何か失ってはいけない大切なことを呼び戻そうとする、本能的な行動なのだろう。
 と考えると、前回言った、「大脳皮質を使って、体や行動をコントロールする」というのは、進化系の高等技術なのではないか!?

 おお〜! スピリチュアルは、進化した人類の新しい生きる術なのかもしれない!?
 <つづく>

 「社長! つづくって初めてですが?」
 「だっからよ〜!」


2011/11/21   お経とスピリチュアルの共通性

最近、スピリチュアル系の雑誌の編集などをやらせていただいていることもあり、ウチの事務所はスピがかった会話がよく飛び交う。

引き寄せの法則というのは、随分と一般的な言葉なのだろうか?
今や身近に飛び交う言葉なので、どうも世間との距離感がよくわからない。

そうその、"世間との距離感"を大切にしておきたいと常々思っているのだが、意外な方向から共通点が垣間見えたりすると、昔からあったことなのかとか、本当にあるのかもしれないと思うことがある。


例えば、「思いを言葉にだせば実現する」といったもの。

臨済宗の僧侶であり、芥川作家の玄侑宗久氏が書いていた。
お経や真言の中にある言葉は、「~になりますように」ではなく、「~が成就した」という現在完了形なのだそうだ。

言葉は、自分の体をコントロールするとても有効な方法で、それは大脳皮質を使って体をだます技術なのだという。

自分の能力をどれほど発揮できるか、それは自分をどれだけおだてられるかにかかっている。
おだてるのに必要なのが言葉。
しかも、完了形。
さらに、声に出せばなお効果的になる。
自分の声が、自分の脳に影響を与えるのだそうだ。


神社仏閣に行ってお参りするとき、「~なりますように」とお願いするのが一般的・・・・・というか、そう教わってきたような気がする(誰に教わったのだろう?)。
お参りも、祈願も完了形にすることで、より効果的=実現に近づくといわれている。

んんっ?
神社仏閣でのお参りは、神や仏への祈願。
大脳皮質を使って能力を発揮させるのは、たしか瞑想の話しだったような・・・・・。

してみると、神や仏は脳の中に存在するのか???

そういえば、心は内蔵に宿るという話しを聞いたことがある。
心が内蔵に・・・・・、何とも興味深そうな話し。
これはこれでまた別の機会に



「社長~! 原稿がうまく書けました!! 担当した書籍がベストセラーになりました!!!」
「さっそく実践か。もっと脳を使って体をだまし、能力を発揮させなさい! そうすれば"ボーナスがドンと出せました!"」
「社長~~! 本当にお願いしますよ!!」
「だっからよ~」








2011/11/05   休んだあとにくるもの

毎週土曜の午前中に太極拳をやっている。
太極拳といっても、健康太極拳だから本格的武術ほどは激しくない。
厳しくもない。

もう随分長いことやっているから、ひと通りの型は憶えている。
次はどういう動きか、考えなくても体が自然と型をなぞっていく。
考えなくても動けるのだが、やればやるほど師範との動きに、微妙な違いがあることに気づく。
このところずっと、"股関節をゆるめる"という大命題ができなくて、教室でも「できねぇ~」とつぶやいたりして、落ち込んでいた。


先月から仕事がたて込んできたこともあり、2週続けて休んだ。
今の教室にきてから休むのははじめて。
しかも先月は、教室自体の休みもあって、5週のうち2週しか参加できなかった。
先週も休みで、久しぶりの稽古だったのだが・・・・・。

なんだか、動きがよかったのだ。
実は最近、自転車で転けて、肩と股関節の外側を強打し、
今も少し痛みが残っているのだが、歩くときも時々ぎこちなくなったりしていたのだが、それなのに自然に動けたのだ。
しかも、"股関節をゆるめる"感覚が、すっと入ってきたような気がしたのだ。

なんだ、なんだ、これは!?


スポーツとか武術とかで、練習を積んで積んで、鍛えに鍛えて、技を習得しようと何度も何度も繰り返して、でも最後の壁をなかなか乗り越えられないときがある。そんなとき、いったいどうするか。
「一度、休みなさい」と言われたことがあった。


休む効果。
久しぶりに実感した。

休むことが、物事が好転する要因になる、ということに対しての裏付けを持っているわけではない。
あくまで自分の感覚だ。
ただ以前から感じているのは、ひとつのことに煮詰まったときには、そのことからまったく離れた何かをやったり考えたりしたほうが、煮詰まりは解消しやすいということ。

企画を考えるときも一緒だね。
ビールの企画を考えるとき、ビールのことばかり考えていたら、"おいしい"企画はできないってこと。



だけどこのあと、本当に自分のものにするために、つかまえたと思った感覚を、何度も繰り返し実感して体感して、意識してできるようにならないといけないんだけどね。

いただいたような気がした、かすかな感覚を大切にして、それに磨きをかけねば!



「社長~!」
「ちょっと待った!! 企画に煮詰まったから休ませろっていうんじゃないだろうな?」
「あっ、ずぼ・し・・・・・」
「だっからよ~!」