2021/08/08 復活!
ブログに書き込みしなくなってしばらく経ったけど、復活!
書き込める状況が整ったので、また少しずつ。
書き込める状況が整ったので、また少しずつ。
旧暦の文月朔日
獅子座の新月
08月08日
東京五輪閉会
緊急事態宣言中
PH東京講習会
そして、気功・太極拳をもとに人の前で話すことになった。
呼吸法をお伝えする。
「よきかなよきかな!」
2020/12/28 2020年仕事納め
2020年12月28日、仕事納め。
一寸先が闇なのか光が差すのか、予想のできないような一年でした。
「禍福はあざなえる縄のごとし」
「沈む瀬あれば浮かぶ瀬もあり」
「人間万事塞翁が馬」
光あるところには影が生まれる。
明けない夜はない。
そうはわかっていても、
さまざまな世の中の動きに翻弄されてしまいました。
この一年のさまざまな出来事を振り返って反省はするけど、
けっして後悔はしない。
昨日に生きていたら、今日に生きられないから。
今日生きていなけりゃ明日もない。とはいいつつも、
明日のことばかり考えて、今日をおろそかにしないようにしよう。
間違いなく信じられるのは、今、自分自身がここに生きているってこと。
自分で今日できることを、少しずつでも着実に行っていければ、
きっと何かがつながって、見えてくるものもあるように思う。
そんなこんなを思う年の瀬でした。
ではみなさま、よいお年を!
2020/01/06 2020年仕事はじめ!
中野に移転してはじめて新年を迎えた。
初詣は、新井天神さん(北野神社)。
気持ちもすっきりと仕事はじめを迎えられた。
いっぱい仕事して、いっぱい稼いで、いっぱい笑顔を送って、いっぱい笑顔になって、背負い抱えているものをきれいさっぱりできる一年にしよう!
初詣は、新井天神さん(北野神社)。
気持ちもすっきりと仕事はじめを迎えられた。
いっぱい仕事して、いっぱい稼いで、いっぱい笑顔を送って、いっぱい笑顔になって、背負い抱えているものをきれいさっぱりできる一年にしよう!
2018/11/08 人が変わるには1年もいらない!?
一年あれば人は変われるというタイトルで、ココに書いたのがすでに一年半ほど前。新月にスタートしたのだから、このブログも続くだろうと書いたが、一年半も何をやっていたのやら・・・・・。
人が変わるには一年くらいの時間が必要なことがある。
一年もいらず、一瞬にして変わることもある。
肉体が変わるには、ある程度の時間が必要だが、意識が変わるのには時間は関係がないと、最近わかった。
ただ、意識が変わったとしても、元に戻らないようにする努力は必要だ。
ともすると、それまで馴染んだ考えや習慣に戻りがちになる。それでは、せっかく変化を自覚したのに、もったいない。
意識の変化は一瞬で訪れても、その変化を保ち続けるのには、強い意志と揺るぎない決心、続けきるという、たゆまぬ思いが大切だ。
時間とともに変わることもある。
明確に変わったのが、年齢が60歳を超えたことだ。
前のブログを書いたのが59歳のとき。現在、61歳。
還暦を過ぎると、自覚している以上に周りの目も変わる。
「60歳を過ぎているように見えませんね」というのは、褒め言葉なんだろうかと感じることがある。
確実なのは、これまで生きてきた年月と同じだけの時間を過ごすことはないということ。
遠い未来を思い描くよりも、あと何年かの間に何ができるのかを具体化して、実現していかなければならない。
それが、60歳を過ぎた者が目指すことなのだと思う。もちろん、やろうとすること、できること、目指すことは人によってみんな異なる。
これまでやってきて培われたノウハウがきっとある(はず)。昔よりも、具体化する方法は知っている(はず)。
人が変わるには一年くらいの時間が必要なことがある。
一年もいらず、一瞬にして変わることもある。
肉体が変わるには、ある程度の時間が必要だが、意識が変わるのには時間は関係がないと、最近わかった。
ただ、意識が変わったとしても、元に戻らないようにする努力は必要だ。
ともすると、それまで馴染んだ考えや習慣に戻りがちになる。それでは、せっかく変化を自覚したのに、もったいない。
意識の変化は一瞬で訪れても、その変化を保ち続けるのには、強い意志と揺るぎない決心、続けきるという、たゆまぬ思いが大切だ。
時間とともに変わることもある。
明確に変わったのが、年齢が60歳を超えたことだ。
前のブログを書いたのが59歳のとき。現在、61歳。
還暦を過ぎると、自覚している以上に周りの目も変わる。
「60歳を過ぎているように見えませんね」というのは、褒め言葉なんだろうかと感じることがある。
確実なのは、これまで生きてきた年月と同じだけの時間を過ごすことはないということ。
遠い未来を思い描くよりも、あと何年かの間に何ができるのかを具体化して、実現していかなければならない。
それが、60歳を過ぎた者が目指すことなのだと思う。もちろん、やろうとすること、できること、目指すことは人によってみんな異なる。
これまでやってきて培われたノウハウがきっとある(はず)。昔よりも、具体化する方法は知っている(はず)。
外に向けて、「私は、~~をやっていきます!」とは決して言わない。
ココロのどこかに、まだ「六十、七十は、はなたれ小僧」の意識があるから。
ココロのどこかに、まだ「六十、七十は、はなたれ小僧」の意識があるから。
しかし、ココロの中では高らかに宣言して行動していくことになる。
「だっからよ~!」
どこまでできるのやら・・・・・。
to be continued
2017/05/26 一年あれば人は変われる
ちょうど一年前、『聞いてびっくり「あの世」の仕組み』が編集・発行された。
一年経っても売れ続け、現在16刷で12万8000部まできている。
その一年前を振り返ると、
ちょうど今ごろ「エニアグラム」のMOOKの編集をしていた。
この「エニアグラム」に出会わなかったら、きっと今の自分はなかっただろう。
編集をしていただけなのに、驚くほどのショックを受けた。
そうそう、ブログも新月スタート!
一年経っても売れ続け、現在16刷で12万8000部まできている。
書籍のおもしろさがわかった。
同時にたいへんさもわかったけど、
同時にたいへんさもわかったけど、
雑誌編集から書籍編集・執筆へと移行しつつあるのがとても嬉しい。
その一年前を振り返ると、
ちょうど今ごろ「エニアグラム」のMOOKの編集をしていた。
この「エニアグラム」に出会わなかったら、きっと今の自分はなかっただろう。
編集をしていただけなのに、驚くほどのショックを受けた。
今まで自分が信じていた"自分像"をまったく否定された。
否定されて、「そんなわけないだろう!」と自分を真剣に何度も振り返っているうちに、言われた通りのほうが、だんぜん自分が自分らしいことに気がついた。
それからは、いたって気が楽になった。
この一年で取り組み始めていることがいくつかある。
ひとつは、旧暦のリズムで生活するとどうなるのかを自分で試していること。
否定されて、「そんなわけないだろう!」と自分を真剣に何度も振り返っているうちに、言われた通りのほうが、だんぜん自分が自分らしいことに気がついた。
それからは、いたって気が楽になった。
この一年で取り組み始めていることがいくつかある。
ひとつは、旧暦のリズムで生活するとどうなるのかを自分で試していること。
アレルギー物質をからだから少しずつ取り除くことや、
合成洗剤や化学物質を極力使わないことも、そのひとつ。
エコロジストになったわけではない。
自分が快適と思う感覚に素直になりつつあるだけだ。
今日5月26日は、旧暦で皐月一日。
新月の日に何かをはじめるのは、理にかなっていると思っている。
本日、歯の金属をひとつ外してきた。
アレルギー反応のある金属を取り除くことをスタート。
さて、どのような身体反応が待っていることやら。
合成洗剤や化学物質を極力使わないことも、そのひとつ。
エコロジストになったわけではない。
自分が快適と思う感覚に素直になりつつあるだけだ。
今日5月26日は、旧暦で皐月一日。
新月の日に何かをはじめるのは、理にかなっていると思っている。
本日、歯の金属をひとつ外してきた。
アレルギー反応のある金属を取り除くことをスタート。
さて、どのような身体反応が待っていることやら。
そうそう、ブログも新月スタート!
きちんと続きますように!!
2016/04/19 High thinking!
ウィリアム・ワーズワースの詩のなかの一節。
Plain living and high thinking
質素な生活と高遠な思索と訳すのか......。
新潮の『考える人』という雑誌があるが、創刊のときの理念が「plain living, high thinking」だったそう。
これは、シンプルな暮らし、自分の頭で考える力と訳していた。
「High thinking」がとても大切だと感じていたときに出会った言葉。
「Plain living」じゃないと、「High thinking」が実行できないのだろうか!?
たしかに、そのほうがよりクリアに考えられる気はするが、どうなんだろう。
これは、シンプルな暮らし、自分の頭で考える力と訳していた。
「High thinking」がとても大切だと感じていたときに出会った言葉。
「Plain living」じゃないと、「High thinking」が実行できないのだろうか!?
たしかに、そのほうがよりクリアに考えられる気はするが、どうなんだろう。
2016/02/18 「失敗」なんてない!?
トーマス・エジソンの言葉
I have not failed, not once. I've discovered ten thousand ways that don't work.
私は一度も失敗したことがない。何万通りもの、うまくいかない方法を発見しただけだ。
うまくいかなかったことを、「失敗した-」と落ち込んだり後悔したりするのではなく、
「こうするとうまくいかないんだ。ある意味ラッキー!」と捉えられればいいのだね。
「そんな、超ポジティブになれない」と思うか、
「なるほど、できそう」と思うか。
意外とできるかもしれない......と思っておこう。
2016/02/13 重力波
2016年2月、
「重力波」が初めて観測されたと発表があった。
アインシュタインが、その存在を提唱したのが1916年。
ちょうど100年前のことだった。
100年を経て、やっと観察にいたった。
100年!
100年前に、すでにその存在を確証していたことも凄いが、
100年!
100年前に、すでにその存在を確証していたことも凄いが、
100年間も観測できなかったという事実も、凄いと思う。
存在自体は、以前から証明されていたようだ。
(これが科学のおもしろいところで、目には見えない、観測もされていない。しかしあるとしないと、さまざまな事象が証明できない......じゃあ、あるのだろう......というところ)
では、「重力波」が観測されたことによって、なにが変わるのか。
少なくとも、日常生活には何の変わりもない。
で、ちょっと調べたら、
重力波にもいろいろあるので、そのなかでも、宇宙ができるきっかけであるビッグバンの重力波を観測できたら宇宙の成り立ちが分かるかもしれないとか、
初めて赤外線で宇宙を見たら、宇宙は星々が生まれてくる高温の塵の塊でいっぱいだったと分かったとか、
初めてX線で宇宙を見たら、星々の死骸だらけだったとか、
初めてマイクロ波で宇宙を見たら、ビッグバンの高熱の名残がいたるところに存在していたことが分かったらしい。
だから、重力波を使いこなせるようになり、重力波で宇宙を見たら、今まで知らなかった宇宙の顔が垣間見られるかもしれない......ということもあるらしい。
なんだか"すごいこと"に、あれこれと理由をつけようとしているようだけど、
本当は、心と頭が「なんだかすごそう!」と、無条件にワクワクしているのだ。
科学少年だったことの記憶が蘇る~!
2015/09/18 大切なのは......続き
ラルフ・エマーソンの言葉を書いた。
「わたしにとって大切なのは
「わたしにとって大切なのは
世界をほんの少し、よい場所にして去ることだ」
ネットで飛びかう発言を見ていると、解釈次第では、いろいろな捉え方ができると感じた。
ネットで飛びかう発言を見ていると、解釈次第では、いろいろな捉え方ができると感じた。
"人の不正を暴く""正義の味方"を気取ると、
人の発言や行動を批判することは、「世界をよい場所に」するためにやっていることだと、言えないこともない。
でも、この言葉は、悪を正すという発想ではないと思う。
「ほんの少し」「よい場所にして去る」とは、
自分でできること(だから、ほんの少し)を、
人の発言や行動を批判することは、「世界をよい場所に」するためにやっていることだと、言えないこともない。
でも、この言葉は、悪を正すという発想ではないと思う。
「ほんの少し」「よい場所にして去る」とは、
自分でできること(だから、ほんの少し)を、
できる範囲で生きやすくする(つまり、よい場所にする)、くらいの意味だ。
相手を叩きつぶそうとか、葬り去ろうという発想はない。
人の上に君臨するわけでもない(だから、去る)のだ。
気をつけないと、「世界をよくするために」、人と戦ってしまう。
戦うからには、勝とうとする。
戦いは、多くの場合、間違っている。
「たたかい」が必要だとするなら、それは「戦い」ではなく、「闘い」だ。
戦いは人を傷つけるが、闘いは自分を成長させる。
あいまいな言葉は、想像力が刺激され、さまざまないい発想に膨らむこともあるが、危険な発想に突き進むこともある。
言葉や文章を綴るのは難しい。
言葉の意味や、文章の意図を伝える仕事は......おもしろい
相手を叩きつぶそうとか、葬り去ろうという発想はない。
人の上に君臨するわけでもない(だから、去る)のだ。
気をつけないと、「世界をよくするために」、人と戦ってしまう。
戦うからには、勝とうとする。
戦いは、多くの場合、間違っている。
「たたかい」が必要だとするなら、それは「戦い」ではなく、「闘い」だ。
戦いは人を傷つけるが、闘いは自分を成長させる。
あいまいな言葉は、想像力が刺激され、さまざまないい発想に膨らむこともあるが、危険な発想に突き進むこともある。
言葉や文章を綴るのは難しい。
言葉の意味や、文章の意図を伝える仕事は......おもしろい
2015/09/09 これからの時代に人は何をしてけばいいか
産業革命が起こったのは、18世紀半ばから19世紀にかけてだった。
さまざまな分野で機械化が進み、肉体労働や人の手による作業が減り、生産効率が爆発的に上がった。
20世紀末から21世紀にかけて、コンピュータ革命が起きた。
数値処理やデータ処理が、人にはできないほどの規模とスピードで行われるようになった。
ネットワークも世界的な規模で広がり、ネットワーク自体の概念も変わった。
そして、人工頭脳が発達しつつある。
産業革命が起きたときに、
「機械にばかり任せておいては、人間がダメになる」
そんなことを言った人っていなかっただろうか。きっといたと思う。
さまざまな分野で機械化が進み、肉体労働や人の手による作業が減り、生産効率が爆発的に上がった。
20世紀末から21世紀にかけて、コンピュータ革命が起きた。
数値処理やデータ処理が、人にはできないほどの規模とスピードで行われるようになった。
ネットワークも世界的な規模で広がり、ネットワーク自体の概念も変わった。
そして、人工頭脳が発達しつつある。
産業革命が起きたときに、
「機械にばかり任せておいては、人間がダメになる」
そんなことを言った人っていなかっただろうか。きっといたと思う。
自分だったら言っていたと思う。
今、コンピュータやネットワークが発達し、今後、人工頭脳がますます発達する。
今、コンピュータやネットワークが発達し、今後、人工頭脳がますます発達する。
そうすると、「人類は、人工頭脳に滅ぼされるのではないか」との懸念が起きる。
でもたぶん、実際に人工頭脳が一般に普及した時代になると、あの頃なんであんなことを言ってたんだろうと、杞憂に終わるのだと思う。
というか、杞憂に終わってほしい。
となると、人は何を成長させていけばいいのか。
きっと、感情とか感覚とか、機械化できないものや数値に置きかえられないものなのだ。
美しいとか、汚いとか、感動するとか、悲しいとか、おいしそうとか、おもしろいとか......
痛いとか、痒いとか、くすぐったとか、気持ちいいとか......
五感や第六感
でもたぶん、実際に人工頭脳が一般に普及した時代になると、あの頃なんであんなことを言ってたんだろうと、杞憂に終わるのだと思う。
というか、杞憂に終わってほしい。
となると、人は何を成長させていけばいいのか。
きっと、感情とか感覚とか、機械化できないものや数値に置きかえられないものなのだ。
美しいとか、汚いとか、感動するとか、悲しいとか、おいしそうとか、おもしろいとか......
痛いとか、痒いとか、くすぐったとか、気持ちいいとか......
五感や第六感
どこからわいてくるのか分からない感情......
そういう部分を磨いていこうと思う。
(なんだかよくわからないけど、それが大切だと降りてきたのだ)
そういう部分を磨いていこうと思う。
(なんだかよくわからないけど、それが大切だと降りてきたのだ)